頑張りすぎている人、自分を許したい人には、お勧めかもしれない。そのままの自分で十分だって気がつかせてくれるので。 内なる神の声を聞けおなじみアイリ−ンの本である。誰でもが彼女のように内なる神の声が聞えたらよいのにと思う。本書は読み返すたびに新しい発見がある。
冒頭のエピグラムの訳を読むだけで、哲学屋さんたちに詩を訳す資格があるかすぐに知れる。
永劫回帰について、この真理の根拠として、ニーチェは元素の種類が有限であるのに対して時間は無限であることをあげている。永遠の時間の流れのなかでは、いつか同一の元素の組合せが生じて同じことが繰返されるというのである。永劫回帰の表象として、幼いころ耳にした神秘的な犬の遠吠えの記憶を提示するなど、ニーチェの詩人としての腕は確かではある。
しかし、遠山啓は「数学入門」だか「無限と連続」だかで、0と1のたった2種類の数字でさえ、同じ繰返しを出さずに無限に並べられることを証明して、永劫回帰の説は数学的にはなりたたないとからかっている。
プフォルタ学院でのニーチェの成績記録によれば、特に数学に弱点ありとのこと。 詩人ニーチェは読みやすい!ニーチェは専門家たちには余り評判がよくないらしい。論理的な飛躍があり、矛盾したことも平気で語っている、というのだ。だから解釈も実に多様だ。ヒトラーの誤読もあったし、「神を殺した」筈の彼の思想をバネにして、キリスト教を立ち直らせようとする動きもあった。ーー解釈が多様だというのは文学作品ならむしろ好ましいことなのかもしれない。だが、理論的な思考がこうであっては困る。数式に答えが複数あったりしたら、これはもう数学ではない。だから本当にニーチェには、哲学者としては致命的な欠点があるのかもしれない。
でも、ニーチェは詩人でもあった。というより、私は彼が論理的なものを軽視したとは思わないが、彼はそれ以上に詩人だったのだと思う。「ツァラトゥストラ」などはまさに詩人の手になるものだ。「超人」だの「運命愛」だのなかなかのキャッチコピーだし、ちょっと劇画調すぎてこちらが気恥ずかしくなるくらい。
専門の哲学者たちはともかく、ニーチェの文学者たちからの受けはいい。これは文学書ではない、とわざわざ註を入れて「ツァラトゥストラ」を必読書に挙げている文学者の数は知れない。「ツァラトゥストラ」は文学書として読んで一向に構わないと思う。それに、−−こんなことを書くと怒られそうだが、ニーチェほど読みやすい哲学者はいない。