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[ 新書 ]
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悩む力 (集英社新書 444C)
・姜 尚中
【集英社】
発売日: 2008-05-16
参考価格: 714 円(税込)
販売価格: 714 円(税込)
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・姜 尚中
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カスタマー平均評価: 3.5
悩むより行動せよ 悩むと、免疫が落ち、髪の毛が抜けたり、しわが増えたり、癌ができやすくなったりするので、良くないと思います。
結局自分で悩んで突き抜けるしかないと・・ 一読では決して解りやすい本ではありません。最近ちまたにあふれてる
明快分析・明快解決なセルフヘルプ本のような、すっきりとした読後爽快感はありません。
ただ恐らく著者は、現在、自我に囚われ「自分の城」に閉じこもる人、
「自己チュ?」の人、一見社会で上手くやっているようで、表面上だけ上手くやって
見せている人、が多くなっていると感じており、それに対し、
昔の人も悩んだ。自分も悩んで突き抜けた。皆も悩んで大丈夫だよ。と
自力で突き抜けることを勇気づけようとしてくれる。その優しさが、嬉しい本です。
題名がそもそもヘン 夏目漱石とマックスウェーバーについての考察というタイトルならよく分かりますが、
「悩む力」ってタイトルと内容が全然違う。
終生、悩み続けましょうょ 「悩む力」というタイトルに惹かれて購入しました。
漱石や、ウェーバー、フランクルなど引用されて、
引用された先人とその著書の紹介としては、優れていると思います。
第八章まで、悩むことや、まじめであることの価値、
「自分の城」が破滅を招くこと、つながりの大切さなど、
考えるヒントがいろいろとあり、共感をもって読み進みました。
しかし、終章「老いて『最強』たれ」を読み、がっかりしてしまいました。
以下、がっかりの原因を考えてみます。
終章で、著者ご自身がこれから老年を迎えるにあたり、「横着者」でいこう、と、
それまでの章ですすめてこられた、「悩む」こと「まじめである」ことを
放棄するかのような宣言をされ、
「分別のない老人」を肯定したり、
「老人の『攪乱する力』はこれまでの社会を変えていくパワーになると思う」
といってみたりするのですが、
悩むこと、まじめであることの脱価値化は
団塊の世代の方々にはじまることだと思うのです。
その団塊の方々が、姜先生にならい「悩みは突き抜けた」と、
分別のなき「自己チュー」な価値観をもって、
定年後「野に放たれる」ところを想像すると・・・若年世代にとっては悪夢です。
俳優をやってみることや、ミュージカル映画製作や、ハーレーに乗ること。
それは「悩みの果てに突き抜けた」というより、
個人的な悩みが解消したことをもって悩むことをやめ、
悩むことから逃げて「自己チュー」に戻ってしまったように、思えます。
これでは「悩む力」というタイトルには、つり合わないように思います。
ほんとうに「悩みぬいた」人の言うこととは思えないのです。
「自分の人生について」の悩みが過ぎた後、何をどう悩むかが、
「悩む力」の真価なのではないかと、この本を読んで思いました。
夏目漱石をもう一度 夏目漱石とウェイバーの共通点を見いだしながら書き進められた本。
著者は政治学者でありながら、映画や文学にも造詣が深く雑誌に書かれたエッセイなどしか読んだことがなかったが、とても感性に共感していた。
一冊の本として初めて読んだ。
夏目漱石の作品は、若い頃に数冊読んだがどうも好きになれなかった。
厭世観が疎ましく感じられ、主人公がどうしようもなくエゴイストに思えてならなかった。
もしかしたら、それはとても表面的にしかとらえられていなかったのかも知れない、また読んでみたいと真っ先に思った。
文体は平易で読みやすく、ボオドレールやフランクルなど引き出しも多く、もっともっと学びたいという知的欲求が生まれた。
「相互承認」互いを認め合うことの重要性を最近自身も感じていたので、とても共感を伴って読み進めることができた。
「悩む」ことに目を背けて真摯に向き合うことを避けては人生の充実は得られない。
数時間で読み終えられ、充実感を得られる良書に出会えてよかったと思う。
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[ 新書 ]
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日本の曖昧力 (PHP新書)
・呉 善花
【PHP研究所】
発売日: 2009-04-15
参考価格: 777 円(税込)
販売価格: 777 円(税込)
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・呉 善花
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カスタマー平均評価: 5
「あいまい」の価値を転倒 「あいまい」は、ヨーロッパ語にどう訳されるのか。日本人編纂の或る対訳辞書を引いてみました。決断、揺らがない、一定、確か、信頼できる、一義的、正確、根拠付けられた、など等の言葉に否定詞が付けられて、「あいまい」の訳語とされています。人との交わりで大事な人倫の善い性質が、否定された(無い)状態を表す言葉のようです。
しかし著者は、この「あいまい」は、言われるほど、否定されるべきものではない。それは日本の精神構造の基調であり、その生き方は混迷した現代を切り開くにはむしろ有効だと主張しています。東アジアの韓中とを見比べながら、日本の地勢・気候の特異性を指摘。その特異性が可能にした前農耕アジア的な豊かな自然界を信ずる傾向。それが、自然採集・縄文時代以来、日本には連綿として民族性の基層に残存している。その傾向が、あいまいさと言う言葉で表されるような特殊な人間関係の築き方・諸芸術に見られる特異な美意識・中央集権になりきれなかった社会構造・言語での受け身の多用、自己のあり方の特殊性などを生んだという考えです。この傾向は、状況の変化に応じて要素の性質や関係が自然と決まっていくと考える現代の日本型システムにも見られるそうです
諸領域の芸術作品が、現場で実見されており、また韓中芸術との比較もあり、日本文化を再発見できます。○中国に較べると日本と韓国とは地形が似ています。しかし韓国は中国と地続きで、その影響が大きく、日本とは違う道を歩んだことが、よくわかります。○自信喪失気味の日本人には、心地よい文字が続きます。しかし我々には、古来の日本を崇めて国粋的な侵略主義に走り、韓中に侵略した苦い過去があります。恵み豊かで、穏やかな自然。それを信仰する平和で協調的な民族。しかし現実との関わり方が、曖昧だったことが、国の暴走を止められなかったのではないか。考えねばならない課題だと思いました。
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[ 新書 ]
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反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
・湯浅 誠
【岩波書店】
発売日: 2008-04
参考価格: 777 円(税込)
販売価格: 777 円(税込)
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・湯浅 誠
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カスタマー平均評価: 4.5
貧困について違う考えを持てました。 思った以上に勉強になった一冊でした。
自分も比較的どちらかと言うと、格差に対して、筆者の指摘通りの見方をしていたので、筆者の言いたいことが良く伝わりました。
自分は貧困は全てとは思っていませんでしたが、大半がフリーターや派遣労働を選択している自分たちの責任であり、それを救済すると言う意味が正直理解出来ませんでした。
少し前にあった、派遣の大量解雇。
本音を言うと、契約期間が早いか遅いかの違いで、数ヶ月後には別な職を探さなくてはいけない状況なのに、なにがそんなに問題なのか理解に苦しんでいました。
全てがそうとは思っていませんでしたが、働く意志もなく、計画もなく、今日をただ生きている人が自分で選択して現在の環境があると思っていました。しかしこの本を読むことにより、自分の考えが少し変わりました。
たしかに選択出来ない、努力ではどうしようも無い状況が多々あったり、貧困の連鎖からの脱出は容易ではなく、それに対して、社会はもう少し理解と援助が必要と理解しました。
自分自身を可視化すること 貧困問題に鈍感であると反省して本書を読んだ。一気に読み終わり 今までの自分の不明を深く恥じることになった。
自身として マーケットの中、競争原理の下で ここまでやってきている。その間に自分なりに努力してきた点は若干の自負があった。しかし そもそも「『努力して』くることが出来た環境にいた」という点が 自分として全く見えていなかった。「自分一人でやってきた」という自負に かなりの驕りと甘えがあった点を突きつけられたからだ。
本書での著者の最大の目的は「貧困の可視化」にある。本書から見えてくる日本という国の危機的な状況がある。
例えば 今回の経済危機の中で「内需拡大」という話があるとしたら その「消費者」そのものが 内側から崩れてきているということだ。気がついたら 国民のかなりの人が 「消費者」足ることができなりつつあるという事が 日本という国を どこに連れていくのか。そういう議論が もっと経済界からも起こってしかるべきだと思う。
今まで自分でも 安易に「自己責任」という言葉を使ってきた。それは冒頭の自負にも寄るものがあったことが今分かる。本書で可視化されるべきは 貧困問題だけではない。今まで見えてこなかった「自分自身」ではないだろうか。
企業に雇用されたことのない著者の虚言 湯浅氏の描く貧困者とは誰を言うのか?年末派遣村は氏の名を全国に知らしめた一大イベントであったが、あのときに村に集まった人数は400?500名だったが、厚生労働省統計上、東京都で「派遣切り」(これも誤った使われ方をしており、派遣協会が報道各社に申し入れている…雇用期間満了に基づく雇い止めはまさに遵法であり、解雇ではないにもかかわらず、刺激的な言葉をわざわざ使う巧妙な手口だ)となっている人数は約100名。あとの人々は何だったのか?
そもそも、大学4年生のときに懸命に職を探し、その後、辛さを我慢し、自分を励ましつつ勤続した人々がようやく辿り着いた今の地位、賃金に対し、そのような努力をせずに年を重ねた人たちが、なぜ自分より賃金をもらうのだ!なぜ自分は契約制なのだ?おまえらと同じ賃金、地位を自分たちに保障せよ!などと主張する。これは理不尽と言うものだ。今に至るまでどれほどの努力をし、犠牲を払ってきたことか。バイパスから来た人々と同様に処遇されるなら、世の多くのまじめな人々には、大きな失望を与える。
人の不幸を願う訳ではない。努力に応じた正当な状態が今の生活、賃金なのだ。決して不当に獲得したものではない。
湯浅氏はなぜその当然のことを抜きにしてすべてのことが語れるのだろうか?氏はこの活動、またマスコミに取り上げられることにより、今後の自らの食い扶持を得ている。その意味では、貧困層を食い物にしていると言えないか?
大いに疑問の湧く著作である。
日本の社会の冷酷さ 日本の社会は弱者にとても冷たい。いったん派遣で働いてしまうと派遣という階層に固定されてしまう。社会正義を装って立場の弱い人を食い物にする貧困ビジネス、社会福祉の公務員が逆に貧困者の最後の望みを断ち切ってしまう実態などが記述されている。著者のいう家族、貯金、人間関係などの”溜め”の大切さに気づかされる。貧困は自己責任ではなく本人の無知と社会の無関心が原因なのだろう。派遣法の対象業務が広がったのは小渕内閣のころであるが、それと同時に労働分配率が下がっていく。労働分配率が下がり、派遣社員、契約社員、パートが増えれば、それまで幅広く購入された贅沢品が買えなくなるので百貨店が衰退し、長期ローンを組んで購入する住宅も売れなくなる。そうした経済社会の変化に日本の福祉行政は認識も対応も遅れているのではないだろうか。またABC分析などの管理会計の手法を導入して企業に効果の大きい人件費削減を勧めるコンサルタントが多数存在することも影響しているのだろう。人は自分の給料は少ないが他人の給料はもらいすぎと思うものなのだ。ここに書かれているホームレスの生活苦は特殊なことではなく、誰にでも起こりうる。削減された人件費の向こう側には人間が存在している、といことは忘れないでほしい。
「貧困は自己責任」と言う前に読む本 自立生活サポートセンター・もやい事務局長である著者が現場の視点
から「貧困問題」を報告する書。
現在の問題点は、雇用 / 社会保険 / 公的扶助という3つのセーフティ
ネットが機能せず、一度落ちたらひっかからずどん底まで落ちてしまう
「すべり台社会」であること。その原因は、溜め(お金や家族や友達)
が失われてきていることにあると説明されます。そして、溜めがない
状態の人々が貧困から抜け出せないのは、決して、自己責任ではない
と語ります。
著者は主張します。
「貧困は自己責任ではなく、社会と政治に対する問いかけである」
「貧困の特徴は見えないことであり、最大の敵は無関心である」
と。”自己責任”と考えていた自分がどんなに無知であったがを
思い知らされる本です。
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[ 文庫 ]
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失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
・戸部 良一 ・寺本 義也 ・鎌田 伸一 ・杉之尾 孝生 ・村井 友秀 ・野中 郁次郎
【中央公論社】
発売日: 1991-08
参考価格: 800 円(税込)
販売価格: 800 円(税込)
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・戸部 良一 ・寺本 義也 ・鎌田 伸一 ・杉之尾 孝生 ・村井 友秀 ・野中 郁次郎
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カスタマー平均評価: 4.5
敗因研究ではなく組織分析の書として秀逸 この本が単行本として最初に世に出たのは1984年。しかも分析に当たって底本としたのが更に昔の戦史叢書(1966?80年刊)。その後発表された膨大な戦史研究をふまえて本書を読めば、個々の事例分析はツッコミどころ満載である。
しかし、この本は長い間に渡り、いかなる戦史書よりも売れている。なぜか?
それは、本書が敗因研究ではなく、組織分析の本として秀逸だからである(本の副題は「日本軍の組織論的研究」であり、決して「日本軍こうすれば勝てた」ではない)。
従って本書の肝は最後の第三章にある。読み物として面白いのは間違いなく第一章だが、極論すれば、戦史に詳しい人であれば第一章を読む必要はない。
日本軍という組織の特性を、すべて日米の国力差に起因するものと安易に結論づけることなく、日本独自文化論でお茶を濁すこともなく、論理的にねばり強く結論まで導いており、この第三章は玩味熟読する価値がある。
著者の一人である野中郁次郎が、後に本書の結論を発展させた形で出版したアメリカ海兵隊―非営利型組織の自己革新 (中公新書)と併せて読むと更に理解が深まると思われる。
全面的改定が必要 この本の最大の価値は、史上初めて観念論でない太平洋戦争を分析したという価値しか今現在は存在しない書籍であり、著者達の間違い探しにこそ、現在におけるこの著作の価値である。例えば、真珠湾作戦を成功した作戦と見るのは、現在においては、国粋主義者か戦略論(現在の数学モデル型)が理解出来ない文化系的馬鹿以外に存在しない。また、組織論や戦略論・戦術論的には、ノモハン・ガダルカナル・インパール作戦は同一のものである。 また、この3作戦は外国人にとっては、文化人類学の課題であり、日本人にとっては、辻や牟田口の精神病理学的課題である。故にこの3作戦を取り上げても全く意味をなさない作戦である。 この3作戦を辻や牟田口の作戦プラン通り成功させるためには、兵器として、タケコプターと仮面ライダーの変身ベルトは必需品である。 この3作戦を取り上げるのであるならば、この3作戦の原形である満州事変と二二六事件を取り上げた方が組織論的理解力を高める物になる。 但し、ミッドウェイ・レイテに関しては、現在においても価値はある。 ミッドウェイは、作戦の二重目標に対する課題として好例であるし、レイテはやはり二重目標ではあるが、この場合は、組織目標と作戦目標が相反する場合の課題として好例である。 沖縄戦に関しては、兵力分散の愚を陸軍参謀本部が行うが、その後の沖縄の司令官の行動は、硫黄島で戦った栗林中将同様であり、沖縄戦の問題である沖縄県民に対する責任は、現地司令官にはなく、参謀本部にあるが、この沖縄戦は、硫黄島同様、出来るだけ米軍の本土上陸を遅らせることが、この作戦の目的であるため、この作戦は失敗した作戦とは言えない。 故に、ノモハン・ミッドウェイ・インパールの3作戦を下げて満州事変と二二六事件を変わりに上げ、沖縄戦を下げて真珠湾作戦を取り上げるべきである。 真珠湾作戦を取り上げる意味は、作戦の成功は戦果の有無ではなく、戦略目標若しくは戦術目標の成功の可否によって決定するという考えによる。 真珠湾は、戦略目標である石油備蓄設備を一切攻撃していない点、戦術目標である米機動艦隊は存在しなかった為、その後の米海軍のために老朽艦艇を処分し、米艦隊の作戦速度を上昇させる役割にしかならなかった点にある。また山本が何故本作戦を実施したかに関しては、日本海軍の対米作戦プランを知らなければ、真珠湾作戦の意味は理解出来ないが、簡単に言えば「臭い臭いは元から絶たなければダメ」である。 日本海軍は、対米作戦プランは、ハワイを拠点とし日本へ進撃する米海軍には、北上プラン・フィリピン北上と実際に行われたレイテ海戦があり、米海軍を日本へ来させない為には、ハワイの軍事能力を無力化する必要があった、米海軍には完敗は、必需であった日本海軍は、戦力のある内に米艦隊の戦略拠点であるハワイを無力化する必要があったが、山本と南雲は犬猿の仲であったため、山本と南雲の間に意識疎通ができなかった為、戦略目標である石油備蓄設備の破壊を行わなかったのである。 太平洋戦争の失敗に関しては他に外務省の西側先進諸国に関して、一切理解出来ないという問題もあるが、この書籍の取り扱う範囲を完全に越えているので除く。 この書籍が現在も高い評価を得ている最大の理由は、著者や愛読者を含めて、歴史を知らない事と、数学が橋にも棒にも引っ掛からない点にある。 この書籍を評価するのは、歴史音痴か数学音痴のどちらかか、その両方のどちらかである。
サプライズのない穏当妥当な帰結 旧日本軍の失敗事例を元に、なぜ組織として失敗したのかを研究した大作である。ノモンハン事件(失敗の序曲)、ミッドウェー作戦(海戦のターニング・ポイント)、ガダルカナル作戦(陸戦のターニング・ポイント)、インパール作戦(賭の失敗)、レイテ海戦(自己認識の失敗)、沖縄戦(終局段階での失敗)の6事例を取り上げ、戦略・組織おける日本軍の失敗の分析を行い、失敗の本質と今日的課題を演繹している。
結論としては、「日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった」ことと述べている。ひるがえって、この精神は脈々と流れ、現在の日本企業の戦略は、「論理的・演繹的な米国企業の戦略策定に対して、帰納的戦略策定を得意とするオペレーション志向である」とも述べている。長々と分析した割には、サプライズのない穏当妥当な帰結であり面白みはない。
基本的に戦争と経営は分析手法として非常に似通ってはいるが、物量差・戦闘能力差が著しくある状態での敗戦事例の分析はあまり気持のよいものではない。
旧日本軍と平成の官僚組織、政治は全く同じ轍を踏もうとしているのか。 本書は私が学生時代の21くらいの時に巡り会いました。しかし、当時の私には難しすぎて、良く理解ができずに途中で読むのをやめてしまったものですが、今回また思い切ってまた最初から全てを読み直し、本ブログに書くに至った次第です。当時は枝葉末節な字句に目がいきすぎて、敗戦を題材とした社会科学、経営戦略学、組織論的な論考という、大きな目標を失ってしまったのでしょう。
この「失敗の本質」は上記にも述べたとおり、旧日本軍が犯した失敗を代表的な6つの戦闘(作戦)を題材として用いることで、太平洋戦争における多くの失敗を、旧日本軍の組織としての失敗と捉え、これらを現代の日本社会、政府、企業などの組織にとっての教訓として活用することが大きな目的である。
本書を読んで思ったことは、旧日本軍は戦略を立案する際に既に負けのスパイラルに陥っていたのだということ。戦略目的が曖昧であり、組織としても大目標が幹部間でも共有されず、当然の結末として末端まで何も伝わらないまま戦わされた。作戦自体も悉く、兵站、ロジス面を軽視した短期決戦型であり、長期化した場合の対策は全く立てらなかった。また戦略立案自体も、中身のない精神論をベースにしたもので科学的根拠がないものが多く、戦況の悪化とともに戦うことが自己目的化していった。組織の面を見ても、硬直化、官僚化しており、本来優秀ななずの参謀、高級幹部の「経験」「知識」などは全く役に立たなかった。本書では全編を通じてこの当たりのことが何度も繰り返し書かれている。
まだまだ書き足りないことは多いのだが、さてさて、ここまで考えてみて、今の日本の政府、大企業、政治の世界はどうであろうか。大東亜戦争から今年で65年を迎えるが、歴史は繰り返していないだろうか。あの歴史を繰り返さないために我々は本書から何を学べばよいのだろうか。本書に書かれていることはすでに70年近く前のことだが、同じことは今も変わらないで起こっている。今の日本は軍事力をベースにした戦争には巻き込まれてはいないが、情報戦争、経済戦争は今後も果てしなく続いており、今や国家、企業のみならず個人の富、資産までも壮絶に奪い合う時代になっている。こうした時代に今一度本書「失敗の本質」に目を向けてみてはどうだろうか。また、もしの最近の経済や政治の15年が失敗だったというならば、その「失敗の本質」を本書を読むことで考えてみてはどうだろうか。
40年以上前の組織を研究する意味。 主に大東亜戦争での6つの作戦を対象に、作戦を失敗に至らしめた要因を日本軍の組織構造や行動に的を絞って分析しています。敗戦について組織論という新しいアプローチで分析しているので、戦史に興味がある方は楽しめると思います。しかし、本書がマネジメントにとって参考になるかは疑問です。何故ならば、日本軍の失敗要因として列挙されているものは、現代のマネジメントの見地からは低レベルなものばかりだからです。これほど明確な失敗要因ならば旧日本軍ではなく、現代の倒産した企業群を対象にしても同様の要因が得られたものと推測します。例えば成功体験が足枷になるというケースは、何時の時代のどの組織にも容易に観察できます。現代の組織ではなく、大東亜戦争時代の日本軍を分析対象にする利点が不明確に感じました。マネジメントという分野は新しい分析手法や戦略論、技術革新、新規のビジネスモデルなどを取り込んで発展してきました。40年以上前の組織を研究対象にしても、現代のマネジメントから抜け洩れていた新規性がある教訓は特に無いと思いました。軍という組織は読者を惹きつけますが。
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[ 新書 ]
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子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)
・阿部 彩
【岩波書店】
発売日: 2008-11
参考価格: 819 円(税込)
販売価格: 819 円(税込)
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・阿部 彩
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カスタマー平均評価: 4
おすすめだが所詮は新書 とても身近な問題だけに多くの人に読んで頂きたい。
が、岩波に限らずこういった新書を読む人って少々限られるのが残念なところ。
イメージ的に軽くなるんじゃないか?という危惧もあるが、
まんがというメディアのほうが良かったのではなかろうか?
とにかくこの本、こういった(薄い)本では当たり前の
本をよく読む人には読み易いが、あまり読まない人には読み辛い
いたってシンプルな(芸の無い)構成で書かれているので読者を限定する。
一千万部程売れて欲しい(読まれて欲しい)本だが、
とてもじゃないが100万部、というか50万部もいかないんじゃなかろうか。
(正直にいえば10万部いかないと思う。)
まんがとまでいかなくても、もっと大きなサイズで、大きな文字で、
イラストも多数まじえて、といった本にしたほうが良かったように思う。
サブタイトルの『日本の不平等を考える』もくどいので要らない。
少なくとも月に10冊,20冊と本を読む方よりも
年に数冊といった方の眼に留まりやすい形で出たほうがいい。
そういった方にもっと読んで欲しい本です。
あと、子供に地盤,看板,鞄を継がせたいと考える
『子供』には優しい政治家の先生方にも読んで欲しい本です。
このままではわが国の未来はない! 日常的に誰もが感じているが言葉にできないこと。何とかしたいと思っているが、煩雑な日常に流されている人。誰もが何とかしたいと思っている。そんな人にふさわしい一冊だ。
消費税という論点をどうみるか? 本書はOECDの提示する相対的貧困のデータを中心にして、日本における子どもの貧困問題が深刻な状態に陥っていることを指摘する。特に所得再分配後に貧困率が日本は唯一上昇していることが(p96)、日本の所得分配システムの大きな欠陥とみる。
私自身もこの本を噂を聞いた段階では日本の盲点だったのか、と思いましたが、実際に読んでみると、OECDの相対的貧困の定義には欠陥があるように思います。すでに先行レビューでかすってる議論ですが、その定義は「世帯所得+社会保障給付」にあります(p44)。ここには「消費税」という概念が含まれていません。いうまでもなく、消費税は所得層に関係なくかかっているので、その税率が上がれば貧困層が苦しむ仕組みがあります。しかし、Wikipediaあたりをみる限りは(税制度には詳しくないです、すいません)、日本はOECD加盟国の中ではかなりそれが低い。したがって、ここでいわれている海外の貧困層と日本の貧困層の割合が変化し、逆転する可能性はおおいにありうる。各国の消費税事情に関すること、その消費税の問題を考慮した上でも日本の貧困傾向は同じなのかには本書で何も触れられていません。
ちなみに海外の消費税制度については食料品など低減税率が採用されていますが、このような低減税率はこの相対的貧困の議論とはかみ合いません。6章の子どもの必需品についての議論にもあるように、論点はむしろその国における平均的な生き方が基準になっています。現在、生活保護の保護率は2.5%程度ですが、この貧困のラインと混同した主張が一部も見られます(p37にみられる本書の主張とp42-43の相対的貧困の定義がかみあっているのか、という問題です)。今後消費税が増税されていけばこの相対的貧困の定義でも問題視していくべきですが、このOECDのデータを中心に制度批判を行う妥当性が弱いようにみえます。
この問題点があるにしても、おそらく4章にみられる母子家庭における貧困問題は非常に深刻なものでしょう。私なんかはこちらの方が早急に解決すべき1番の問題点だと考えます。夫婦+こども2人という家族観が日本の諸制度を強く規定しているという話を聞きますが、この点は柔軟に制度設計されるべきでしょう。
(なお、一度レビューを削除されたものを訂正させて頂きました。関係者からのクレームであったのなら、お詫び申し上げます。)
「子育て支援」から「子育ち・子育て支援」へ 表題は、本書が参考文献に挙げている『季刊社会保障
研究』第43巻第1号の巻頭言を援用しました。本書の著
者の立場、すなわち「子どもの数を増やすだけでなく、幸
せな子どもの数を増やす」ことへの政策目標の転換とい
う立場を端的に語っていると思ったからです。
さて、本書は相対的貧困、貧困の測定、貧困の不利、
不利の連鎖とオーソドックスに論点を進めた後、子どもの
貧困を捉えるために多数の合意による指標の標準化を
試みています。結果は何とも皮肉なものでしたが、これ
は固有の意義があるものと思いました。
数ある提言のうち、わたしが注目したのは、アメリカで
行われているというヘッド・スタートという(貧困の不利を
極小化するために幼少期から包括的な支援を行う)プロ
グラムです。紹介されている『子どもの貧困』(明石書店
2008)所収の実方伸子論文も、合わせて読んでみまし
た。現在公立保育所で行われている各種の実践を整理
し、目的に沿って自覚的に再構築することで、それへの
展望は開けるのではと思いました。
本書を読み終えて、もう一度『生活保護の経済分析』
(東大出版会 2008)の著者の執筆論文を読み直してみ
ました。同じ論旨が伺えました。それをかみ砕いた上で、
コンパクトにまとめてくれた本書が、昨年の新書大賞の
ベストテンにさえ入ってないというのは、何とも合点の
いかぬことです。
将来の日本のために残されている時間は、とても少ないような気がする。 先日のNHKクローズアップ現代で、2夜連続で教育や医療を受けられなくなっている子供たちが急増しているという報道をしていた。進む不況の中で、貧困がここまで広まっている現実に愕然とした。
本書は、最近よく言われる「格差」という視点ではなく、今まさに広がりつつある「貧困」に焦点を当て、豊富なデータを示しつつ問題点を浮き彫りにしている。
また、本書では主観的になりがちな貧困の定義を「その社会において最低限の生活をしていくのに必要な水準」として明確にし、議論の出発点としている。
驚くべきは、先進諸国との比較で、勤務収入などから得られた所得と税金や社会保険料を控除して児童手当等を分配した後の所得の比較をすると、日本は18カ国中唯一子供の貧困率が上がっているとしている。つまり、我が国は子供への社会福祉政策が機能していない国であるという現実である。
さらには、17人に1人が母子家庭の子供というが、ここで紹介される多くの母子家庭の厳しい現実に、早急に手を打たなければこの国の未来は悲観せざるを得ないと考えさせられた。
これらの我が国における厳しい現実をふまえて、本書では子供の貧困問題に取り組むイギリスの例を参考にしつつ処方箋を示している。
それらの提言の中で、著者独自のものとしては、「財源を社会全体が担うこと」、「給付付き税額控除」、「公教育の改革?高校・大学教育の無料化」、「少子化対策ではなく子ども対策を」といったものである。
支出の削減という美名の元に、未来を担う子供たちが確実に貧困にあえいでいる。
将来の日本のために残されている時間は、とても少ないような気がする。
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[ 文庫 ]
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「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
・山本 七平
【文芸春秋】
発売日: 1983-01
参考価格: 460 円(税込)
販売価格: 460 円(税込)
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・山本 七平
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カスタマー平均評価: 5
日本と「空気」 この本は日本の根本原理、伝統的発想法を分析した本です。内容を簡単に説明すると。
【一】日本人は物事を相対化することが苦手であり、絶対化しやすい。絶対化すると絶対化したものに支配される。(物神崇拝、アニミズム)
【二】日本人は状況論理、状況倫理主義である。どんな時も悪いことは悪い、ではなく、時と場合、その時の状況によっては、悪いことも許されると考える傾向がある。(この傾向は必然的に日本的平等主義に行き着く)
【三】日本人は集団主義、家族主義である。日本人は集団に依存する傾向が強い。そのために身内を庇う傾向があり、身内に甘い。身内にだけ通用する常識を持つことがある。
この三つが重なり、集団(時には日本全体)が「空気に支配」される(劇場化する)、という分析です。この本を読めば日本の根本原理、伝統的発想法は戦前も戦後も、全く変わってないということがよく分かり興味深いと思います。
裁判員になった人は皆読むべき 山本七平の日本論としては『日本人とユダヤ人』が有名だが、評価が高いこちらの方を読んでみた。
日本社会が「空気」に支配されることを指摘しており、日本人の特徴を最もよく把握した名著。
著書が述べるように「その場の空気によって・・・」「そういう空気ではない」など、日本人は見えない「空気」に抵抗できなくなる(一神教の正義のような宗教的絶対性を持っている)。
例えば、マスコミ等で一方を善、他方を悪と報道すれば、社会は一様に空気に支配され、皆同じ方向に向いてしまう。日本ではこうした事例にことかかない。
少なくとも裁判員になった人は「空気」に支配されることを知っておかなければならないだろう。
でないと検事、弁護士、世論などがつくる「空気」に支配され、判断を過誤することになる。
なぜマスコミがこの事実を取り上げないのか、不思議なくらいである。
遅れてしまった出会い イダヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』(山本書店)は、1970年の大ベストセラーだった。しかし、わたしは読んでない。手にも取らなかった。なぜなら、私は「反ベストセラー主義者」だからだ。
ベンダサンはユダヤ人で、ユダヤ人の立場から日本人を論じた本がこれだった。ところが、何年かしてベンダサンは実在の人物ではないらしい、どうもこの書を訳した「山本七平こそがベンダサンではないのか」、「偽ユダヤ人だ」という噂が広がり、雑誌などでも書かれたりした。今日では、ベンダサン=山本七平は、広く知られている。
ベンダサン名義の『日本人とユダヤ人』も、その他の山本七平の本も、「どうせつまらない、価値のないことしか書いてない本だ」と、私は小馬鹿にしていた。しかし、ごく最近になって、私はこの認識を改める必要があるかもしれないと思い始めている。
その理由は、ひとつには、尊敬する宗教社会学のS先生が、「山本七平はなかなかのものだ」とおっしゃったからだ。これはキリスト教やユダヤ教、そしてイスラム教についての知識についてのことである。
それからもう一つは、山本七平が日本人と日本文化の独特の、それもその負の部分を鋭く批判し、分析していることに気付いたからだ。たとえば、ずばり「空気」である。人びとを動かし、支配する、眼に見えない力。それが「空気」である。日本の家族、村、会社、組合、そして国家……それらを左右し、規定するものが「空気」だ。そしてこの「空気」には誰も逆らうことができない。
昭和16年の日本。権力の中枢部において、対米戦争に批判的なひと、反対の人、躊躇する人は、少なくなかった。いや、多かった。しかし、戦争へと向かう「空気」に誰もが逆らえない様な状態になってきた。昭和天皇も、木戸内大臣も、山本五十六提督も反対だった。しかし、説明しようのない「空気」が、宮中、政府、陸軍、海軍を支配していた。
山本七平の本に『「空気」の研究』(文春文庫)がある。 この本が、かかる「空気」について正面から取り組んだ書である。難しくはないのだが、しかし、なんかややこしいところがある本だ。 『「あたりまえ」の研究』(文春文庫)という本もある。 『日本人とユダヤ人』をふくめて、山本七平の本をていねいに読む必要があると最近では思っている。
まあ、1970年の段階で山本七平を読んでおれば、こんな遠回りをしなくてすんだのだが、「反ベストセラー主義」のせいでちょっと損をしたなと思っている。
わたしは「空気」は日本人の間だけにあるのではないと思う。グラムシの「コンフォーミズム」、ヴェーバーの「諒解」の概念にも関係すると思う。この点を勉強したい。
「空気」読め! この本に出会えたことは嬉しい。日本人として、社会人として。
「空気」はどこにでもあり、いつでも作られ、その呪いを解くことは難しい。
この状況じゃ仕方がない、そんなこと言ってもしょうがない、
そういう言葉は蔓延していて、それと戦うことなど「無駄」に等しい、
自分もある年齢からそう思っていました。
なによりも、自分の心の中に「空気」が生まれ、それに支配されていることに気がつかせてくれた本です。
この本には、空気を打破する具体的対策は提示されていません。
それでも、著者はそれを「信念」であると結論づけています。
考えながら、戦いながら書いているようにも思えます。だから、著者が使う言葉は難解です。
日本人を呪縛する最高法規「空気」に科学的・論理的光を当てる良作 他の山本七平氏の著作同様、読んでいて日本人の一員である自分自身を覆う壁を一枚一枚、冷撤な論理によって剥がされつつ、反論の余地なくその正体を暴かれていくような複雑な気持ちになった。
日本人論の大家と言われる氏の著作からは、常に何らかの貴重な知恵を与えられる。
読んで得こそあれ損はないだろう。
特に日本の各界のトップや経営者、中間管理職にとって自分自身の思考・行動を決定さす正体不明の呪縛(正体がわからない規範だからこそ、まさに「空気」支配は「呪縛」と言いうるであろう)、その妖怪の存在とその輪郭を把握さえできれば、将来の危機的状況から自分自身の所属する集団を救うことができるかもしれない。
また、日本の企業・学校その他の組織に加わる外国人の方々にとっても、日本で暮らし、働く上で思いがけない災厄を避けるため非常に有益な示唆を与えてくれるだろう。
日本では、一旦「空気」という言葉が意思決定の根拠に使われれば、たとえそれがいかに合理的根拠に欠けたものであると感じても、それに唯唯諾諾と従わなければ著者のいうように「抗空気罪」という不文律の極刑に処され、下手をすれば組織の中で抹殺・軽くて村八分にされる危険があるという事実を、よくも悪くも知っておいて損はない。日本企業による外国人の入社研修プログラムなどにそのことを組み込むべき様に思える。
そうでなければその従業員が可哀そうだ。
逆に、日本で幼年期?青年期を暮らした日本人にとっても欧米等の企業・組織に加わる前に読んでおいても損はないと思う。
なぜなら、今まで日本の風土の中で断片的に叩きこまれ、その規範に束縛されていることすら意識できない程に身に染まっている「空気」支配の価値観を外国に持ち込めば、「簡単に“ムード”(空気)に流される使えない奴」というスティグマを押されて場合によっては職を失うか思いがけない冷遇を受けるかもしれない。
それを回避するための多くの示唆を本書が与えてくれると思われるからだ。
本書は、日本人独特の「空気支配」(ただ、多くの日本人はそれがあたかも「人類普遍の原理」のように錯覚しているように思える)というタブーに初めて科学的・論理的分析の光を当てた傑作であると思う。
著者はその支配からの具体的な脱却方法までは示してくれず(示唆はあたえてくれている)、じゃあ日々の現場で対応している小生含めた庶民がどのようすればよいのか、というう課題は残る。しかし、脱却の前に呪縛の正体を自覚ことがまずは先決であろう。
本書が発表されたのが戦後30年、そして更にそこから30年を経た今、氏が指摘する空気支配は弱まったのか、強まったのか?KYなどという言葉に代表されるように寧ろ強まっているのではないか。
「空気支配」発動の要件の一つとして著者が上げる“物体への臨在的把握”等がなくても、空気支配は簡単な善玉・悪玉よりわけの論法だけで日本人から相対的思考を奪い、絶対的空気支配を発動させ得るようになっているように思える(著者が30年前に底が浅いだけに危険性が低いと語った人為的醸成による空気でも、容易に強固な空気支配が完成しうるように思える)。
小生は、必ずしも日本人の特徴の全てを自虐的に否定する必要はなく、誇れる部分はどんどん世界に誇るべきであると思う。
ただ、この空気支配は日本人の弱点の一つとして、脱却・克服されるべきように思う。
簡単に達成できることではないであろう。
しかし将来いつの日か、日本人が「空気」に警戒の姿勢を見せる風習を身に着け、本書を見て「何で山本氏は空気の危険性なんてあたり前のことを、こんなに全力投球で一生懸命語っているんだろう」と言えるようになる日が来ることを望む。
何よりそのことは、故山本七平氏が一番望んでいるのではいだろうか。
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[ 新書 ]
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「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート (生活人新書)
・コリン ジョイス
【日本放送出版協会】
発売日: 2006-12
参考価格: 735 円(税込)
販売価格: 735 円(税込)
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・コリン ジョイス ・Colin Joyce
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カスタマー平均評価: 4
暇つぶしに最適 この本の中で語られている、彼の斬新な切り口による日本論は、他の人がさんざん言っているので置いといて。
この本は作者が思ったことを本当につらつらと書き連ねた集大成である。
一貫した主張や論理などはほとんど無い。ただただ、感じたことが語られているだけであるが、だからこそ読み疲れない。それでいてこの本を読み終えたとき、物事の新たな見方に目覚めることが出来そうだ。
違う目で見た日本(英国)論 ガイジンが見たニッポンはやはり、日本人が見る目とは全然違うのだなあと
感心させられ、また大変面白く読みました。
ニッポンと外国の違いを指摘しているようで、実は英国の賛美(批判)論の
ようで大変面白かったです。
でも、日本人の持つ英国感はかわらないだろうな・・・
日本をよく観察している 外国人からみた日本に関しては、何冊も本が出ていますが、
この著者は非常に熱心に日本を観察されていたようで、とても興味深く読めました。
私達でも知らないような場所が紹介されていたり、
今までになかった視点での発見が書かれていたりして、
目を見張るものがあります。
たまに、私達には「?」と感じるような箇所もありましたが・・・
「好きな日本語ベスト3」が特に気に入りました。
選んだ題材はB級ながら、観察眼は第一級 外国人が書いた日本や日本人についての本として最近読んで印象深かったのは、「日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない」(呉善花著、PHP研究所)がありました。かなり高尚な視点から、いたって真面目に日本とその文化について論じてありました。
さて、一方の本作。選ばれた題材は、プール、銭湯、パチンコ、ビール、弁当、花見といった、こちらはいかにも庶民的で肩肘張らないものばかり。それらについて、全く日本人に迎合することなくあくまでイギリス人の感覚で、面白おかしく、時に真面目に本音を語っています。そして、ガイジン著者による日本紹介本の中でも特にこの本が良作と評価されるべきと私が思う理由は、それぞれの題材に対して著者自身がまずよく理解し、その公正な意味・背景を租借した上で語っていること。外国人から見たうわべの奇異さだけを強調するのとは全く違い、我々日本人にとっても「そうそう、そうなんだよな」という共感を呼びおこします。
ただしその上で、「それでもこのxxxはイギリス人にとっては奇妙だ」と時に結論付けるわけですが、その場合も我々がその理由を十分理解できるような書き方をしています。だてに10年以上日本に住んでいたわけではない、という所でしょう。
私ごとですが、逆に私は10年以上日本を離れ、著者の母国イギリスで暮らしています。その中で時々私が不便に感じること、例えば「なんでイギリスの本はこんなにどれも分厚くて値段も高いんだ!」について、著者が日本の文庫本の手軽さ・安さを絶賛しているなど、そういう楽しみ方ができたことも良かったです。いつも恋焦がれる日本の風呂・銭湯に、このイギリス人著者が異様に熱を上げている様子も、大変面白かった。
誰が読んでも、思わぬ「気づき」がある 前に買って前に読んだのだが、再度出してきて読んでみて感じるに、優れた日本文化論と思う。
レビューを投稿しようとしたら、多くのレビューがあって、結構メジャーな本なんだとびっくりした。
第1章 「プールに日本社会を見た」
たくさんある規則にみんなが従うことで、うまくやっている国。
大きな集団の悪事に対して寛容すぎるのは、日本人の弱点
第2章 「日本語の難易度」
発音の練習を繰り返したのは「うどん」と「旅館」。「作家」と「サッカー」の区別は難しい。
単数・複数、性変化、定冠詞・冠詞がなく、時制変化が易しい日本語はむしろ易しい言語。
会話が相当できるようになっても文章が読めないのは、日本語習得の特徴。(なぜなら)日本語の表記方法はおそろしく厄介だ(からだ)。
第3章 「おもしろい日本語」
「猿も木から落ちる」、「猫に小判」は無駄がなく要領を得ていて秀逸。「全米が泣いた」が真に意味する皮肉も日本人にユーモアがないという誤解を吹き飛ばすもの。
魅力的な擬声語や擬態語(「しくしく」)が多く、これは日本人の貴重な共有財産と考えるべき。
でたらめに英語を拾い上げ日本語に組み込む能力もすばらしい(例:パソコン、マスト・アイテム、億ション)。
第4章 「日本の第一印象」
日本の小さな子供が信じられないくらい可愛らしく思えてしかたがなかった(同じように日本の人たちも西洋の子供を信じられないくらい可愛らしいと思っていると聞き、おもしろく思った)
第6章 「行儀の作法」(この章に私は感じ入った)
サドルを固定するボルトが折れた際に修理をしてくれた自転車屋は代金を受け取らなかった。
これは、「日本にはまだ共生の感覚が残り、小さな地元の店にしっかり受け継がれているように感じられる」としている。
第7章 「独創性」(なかなか鋭い指摘と感心)
「花見」、「銭湯」、「新書版」、「品物をきれいに折りたたんだり、包んだりすること」
「浮世絵」に関する記述も的を得ていると感じる。
第8章 「行動様式」
「お忙しいところすいませんが」と前置きしてしまう。「ブーム」という単語を使いすぎてしまう。
注文を辛抱強く待つパブより、すぐに「お通し」がでてくる居酒屋の方が好きになってしまった。
第10章 「東京の魅力」
タイムズの東京支局長は「東京の最大の魅力は、どんなに地味なトピックであれ、この街のどこかにそのトピックに傾倒してやまない人々の小さなグループが必ず存在していること」であるとしている。
第12章 「イギリスと日本はにているか」(似ていないというのが結論)
イギリス人が日本を訪れたとき、マナーのよい人に出会ったと思うのはイギリス人。
イギリスが日本化しているように思われる(「食」のテレビ番組、ばかばかしい番組の増加、ブランド品嗜好)。
第13章 「メイド・イン・ジャパン」(イギリスに持ち帰るなら選ぶ日本製品)
「使い捨てカイロ」、「畳スリッパ」、読売新聞が無料配布した「江戸名所図会」
第16章 「日英食文化」
「ベーコン、チーズ、パン、ビール、紅茶、サンドウィッチ、カレー」はイギリスの方がおいしい。
第17章 「おさらい」
・着脱が容易な靴がよい
・歌舞伎は歌舞伎町でやっていない
・血液型は調べておいた方がよい(よく聞かれるので)
なお、最後に、彼はデイリーテレグラフ誌の特派員であるわけだが、彼が送った記事がいかに変造されるかが詳しく書いてある。
ここまで記事が改編されるのとは驚愕する(英国の大衆紙だけの問題なのだろうか?)。
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[ 文庫 ]
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あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)
・山田 ズーニー
【筑摩書房】
発売日: 2006-12
参考価格: 504 円(税込)
販売価格: 504 円(税込)
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・山田 ズーニー
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カスタマー平均評価: 5
いいです いかに話すかは、その人の個性がいかせるかどうか、笑えるネタを
準備しておくかにもよります。
具体的に誰が何を知らせたいのか?
時系列でめもることが、へたなもので、役に立ちました。
わかりあえるといいと思いました。
「問いの洗い出し3分ワーク」と「問い1000本ノック」 第1章 コミュニケーションのゴールとは?
第2章 人間を「説得」する技術
第3章 正論を言うとなぜ孤立するのか?
第4章 共感の方法
第5章 信頼の条件
著者の基本属性(出生年や出生地)は不明。1984年に「ベネッセコーポレーションに入社」という奥付から察するに,1961年生まれ? 性別も不明だ。最初は男性かと思っていたが(「ズーニー」(”Zoonie”と英語表記まである)という女性っぽくない名前だし,進研ゼミかなんかで小論文の編集「長」をしていたから),文章から感じられる物腰から女性だと推測している。2000年,ベネッセ退社後,独立(39歳)。61年生まれが正しければ,著者42歳の時の作品。装丁は南伸坊。
素人に文章指南をする職種にいたからだろうが,私のようなあんぽんたんにも腑に落ちる議論だった。章立てからもわかるように,首尾よくいく「コミュニケーション」に不可欠なのは,「共感」や「信頼」なんだよ,ということが本書の趣旨であることは明らか。類書と違うのは,自分の「メディア力」を高めることに主眼を置いた点だろうと思う。私流に翻案すれば,本書は,“あなたの話が「通じない」のは,あなたが相手に‘通じてない’からだ”ということを,手を変え品を変え論じている。鈴木健二『気くばりのすすめ』が“待ち”の勧めなら,山田のは主張の壁を突破する“攻め”の勧めだ。あなたが裏切らない友達が欲しいなら,あなたはだれかの裏切らない友達になっていますか?の論理だ。
議論の手掛かりがつねに小論文(指導)っぽいが,受験勉強(?)が人生に役立つ方法であることを明かす一つの証拠なのかもしれない。実用性を感じたのが,「考える方法を習ったことがありますか?」(48頁)。「問いの洗い出し3分ワーク」と「問い1000本ノック」は,これからも業務で使えそうな受験ハウツー(?)である気がする。
あなたの話が「通じない」のはあなたの「メディア力」が低いからだ,だから「メディア力」を高めるには自分を適切にアピールして,業務内容について同僚たちと話し合え,要するに良き社会人であれというのは,正論だが少しずるい気もした。でも,正論なので反論できない。(878字)
通りすがりのバイオ研究者 色々と書かれていたが最も印象に残っている言葉は、
「自分の根っこの想いにうそをつかない」、というものです。
当然なのかも知れませんが、実行するのは難しいと実感している。
技術を磨いて自分の想いを伝えるためには訓練が必要である。
当たり前のことを気づかせてくれる本である。
まずは、相手から信頼されること 話し手が聞き手に与える信頼性を「メディア力」と称し、そのメディア力を高めることに主眼が置かれている。話を通じさせるためには、相手の望んでいる「話」は何なのか、自分の伝えたいことは何かを明確にすることに始まる。
文体や論の進め方に筆者の情熱が感じられ、読んでいるうちに「自分にもできる」という勇気が沸いてくる。
コミュニケーションの核心をつく本。買ってよかった! 良い印象を与えるためのうわべだけの表現でもなく、
自分の思いをただぶつける自己満足な表現でもなく、
“思いが伝わり、自分も相手も納得できるコミュニケーション”の方法がわかります。
ついついやってしまいがちな伝え方について、
どうして伝わらないのか?どう変えていけばいいのか?が具体的に書かれています。
自分のメディア力(相手からどう思われてるか)が説得力を左右するというのはすごく納得。
他にも、なんとかしたいけど、なんか引っかかるけど、何故だかわからない・・というような
コミュニケーションについて普段から感じていた疑問の答えが
沢山見つかりました。
特に何もしなくても皆に絶大な信頼を置かれる人、
自分を好意的に捉えてくれるけどなぜかその言葉が納得できない人、
それらが何故なのかもわかりました。
何度も読み返し、自分のものにしていきたい本です。
ただ、文章だと一息ついて冷静に考えられるけど、
瞬時に頭の中で判断して会話にも活かすのはなかなか難しそう・・
それができる人=話していてすごく聡明だなぁと感じる人なのでしょう。
小手先の技ではなく、本当のコミュニケーション上手になりたい、と感じている人には
本当にオススメです!
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[ 新書 ]
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大麻ヒステリー (光文社新書)
・武田邦彦
【光文社】
発売日: 2009-06-17
参考価格: 777 円(税込)
販売価格: 777 円(税込)
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・武田邦彦
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カスタマー平均評価: 5
大麻ヒステリーというタイトルが秀逸、現代の魔女狩り 大麻を吸引した力士が解雇されたとき、処分が重すぎると思った。なぜなら、身体依存の少ない大麻は多くの外国では嗜好品として認められているからだ。現在の日本では違法だからある程度の処罰は仕方がなかろう。けれども、解雇するほどのことではない。70年代のドラッグ・カルチャーを知っている者としては処罰の重さには違和感があった。そのうち大学生に大麻が広がっているとして逮捕される学生が続々、極悪人みたいな扱いがされる。いったい、このマスコミの扱いは何だ!? 魔女狩りだよ。夜回り先生も「大麻吸引は麻薬への入り口になるから」いけないと発言、いわゆる「入口論」である。あれあれ、夜回り先生だったらきっちりと「大麻のどこがいけないんだ」と発言すると思ったのに・・・。ただの正義の味方になってしまった。
武田氏は日本で昔から栽培されていた大麻は向精神薬物をほとんど含まない品種だったこと、GHQが押し付けた大麻取締法には科学的根拠が薄いこと、合法的な嗜好品と比較しても害がないことをあげて「大麻ヒステリー状況」に異議を唱えている。基本的には同感である。
ただし、タバコの害に関する見解は伊佐山芳郎『嫌煙権を考える』(岩波新書)が優れている。タバコの害は科学的な証拠がたくさんある。副流煙の害ははっきりしていないと書くのはアンフェアである。
また、参考資料は巻末に列挙されているが、当該箇所にある程度示すべきである。マリファナ=大麻に関する資料には、立法化の経緯や害がないと指摘する先行書、『マリファナ・ブック』(オークラ出版)、『マリファナの科学』(築地書館。参考資料にあげている)、『マリファナ』(青土社)など、たくさんあるのだから。
大麻っていけないのですか 大麻っていけないのですか
環境問題の武田さんが書いた大麻の本です。
大麻を麻(あさ)と呼ぶと日本には多くの麻の製品があります。麻は成長も
早いし、日本の風土には合った植物と言えます。
大麻は法律で禁止しているから「悪」と考えている方は多いと思います。
しかし、本当に大麻は悪なんでしょうか。本当に体に悪いのでしょうか。
「大麻は何故いけないの?」小学生に聞かれたらあなたはなんと答えますか。
「法律で禁止しているからいけないのです」と答える以外の答えを知りたい
方にお勧めです。
?思考停止になる日本人? ?思考停止になる日本人?
サブタイトルから、さすがです。
「和魂、洋魂に敗れる」
端的に今の日本とアメリカの関係を表しています。
世界の広い歴史の視点から、現代の日本の大麻に対する現状をずばり切っています。
最後の方には、鎖国時代からの開国したばかりの日本人の素直な感想をアメリカ大使のハリスやその他多くの米著名人がつづった貴重な文章が載っています。
「日本人の気質として、外から言われないと気づかない面がある」
ずばりです。
著者も科学者であり、安心できる本です。
水戸黄門の菊模様のように、ダメ役人やわからずやのヒステリーさん達の目の前に突き出しても文句が言われない作品です。
777円
2冊買って親に1部あげました。
合理的な内容 合理的な内容で大麻をしりたい人には最適な一冊だとおもいました。
この本だけでなく、大麻には害がないことが昔からいわれているのにもかかわらず、多くの日本人が大麻規制を支持しているのは、法律をまもることが社会秩序をたもつのに必要だからだとかんがえているからだとおもいます。
その辺はジャーナリストや法律関係者による検証を期待したいです。
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[ 新書 ]
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思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)
・郷原 信郎
【講談社】
発売日: 2009-02-19
参考価格: 777 円(税込)
販売価格: 777 円(税込)
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・郷原 信郎
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カスタマー平均評価: 4.5
正義感 本書は企業のコンブライアンスなどの専門的なことに興味ない人には難しい面があるような気がします。しかし、一貫して感じることは正義感です。私はいままで、法律の世界にはやや疑問をもっていました。いい加減で、権力者のために考えているものではないかと。しかし、本書を読んで、その考えは一変しました。法律は国民のためにするものだと、法曹界の人で本気に考えている人がいることを知って感激です。また一貫して、自分の頭で考えることの大切さを教えられた感じです。
バランスのとれない日本人 なるほど、現代社会においては、法令遵守こそ水戸黄門様の印籠である。それを出されると誰でも逆らえないし、メディアもそれを掲げて企業をバッシングすれば数字が取れる。人体に影響のない微量であっても、食品メーカーは倒産寸前まで追い込まれ、被害報告がなくともみのもんたに「廃業しろ」と説教されるのだ。
結局、規制というのは経済的合理性とバランスで考えるべきものなのだが、とかく日本ではバランスが悪い現状がある。著者は経済司法の人材に原因を帰すが、個人的には国民性ではないかと思う。右へ倣えの日本人は、戦前から変わっていないのだ。
報道と異なる事実は提示できているが、立場もあるし・・・・ 1.内容
日本社会は、以前は、めったに使われない法令の範囲内だけが「遵守」の対象であったが、アメリカの影響もあってか、「遵守」の対象が広がり、それによって、社会に不利益なことが散見されるようになった。このような事例を、著者が携わった、不二家の「隠蔽」や社会保険庁の「改ざん」などについての正しい情報で提示したものである。
2.評価
普段接している報道と事実が異なることを説明しているのは大したものである。ただ、(1)ほとんどの内容がマスメディア批判なので、マスメディア批判に終始すればよかった(p206の法律家養成は、この本の主題と大きく関係するとは思えず、付け足しに見えた)、(2)とりわけ、著者の携わった事例は、著者の見解を鵜呑みにせず、疑問を留保したほうがいいと思った(どうしても著者の主張が正しいと取りがちなので。一方当事者の主張を正しいと取るのは、一般的には危険であろう)、以上2点により、星1つ減らして、星4つ。ただ、マスメディアの伝える事実や姿勢の問題を取り上げたいい本である。
時宜を得た本 やっぱり本は読まなきゃ世の中分からない この本のポイント
〇裁判員制度は、一般市民が日常経験することがまれな重罪刑事事件が対象で、市民が判断するのに向かない。むしろ、経済事件やその他の民事事件のほうがまだ市民感覚が尊重される。
〇法令違反と社会的規範逸脱では、重さが違うし、それらをやったことに対して被るペネルティーも差があって当然。
〇また、法令違反であっても、それが及ぼす本質的な加害、損害その他の問題点を斟酌して罪を問わねばならないのにそうなっていない。不二家、伊藤ハムの食品問題など、及ぼした実質的被害と企業の受けたダメージが全く釣り合っていない。
〇社会保険庁の年金問題も、殆どは中小零細企業経営者とその家族が、保険料滞納を解消するため納得ずくでやったもので、社会保険庁の職員が勝手にやった事案は見当たらない。もし保険料滞納のまま放置すると、年金受給額が支払った保険料に比し極めて高いものになり、不公平になる。
〇社会の実態からかい離している法令を以て、法令違反を問うのは不合理。
〇マスメディアは視聴率稼ぎのために節操のないこと行い、悪事が露見してもすんなりとは認めない。
著者は、検察官、起訴便宜主義の世界で事件を選別してきた人、社会やマスメディアの動きに、理性の働かない、客観視できない、エビデンスの無い、唯我独尊他人は悪人との思い込み、感情的な過剰な加罰主義 の臭いをかいで辟易しているのだろう。
先日、時津風部屋の時太山リンチ死亡事件で前親方の山本順一に一審で6年懲役の判決があった。親方は、自分の都合だけで行動しかつ自省しないマスメディアに、暴行を行った兄弟子は、面白半分か親方にあおられて判断力をなくしたか定かでないが、賢明とは言えない市民に重なって見えてくる。
法律との距離のとり方が問われている日本社会 本書は、歪んだ「法令遵守(コンプライアンス)」→「思考停止」→日本社会の活力の低下、
という著者の持論を、時事的な話題の分析を通して展開するものです。
不二家事件や社保庁の年金記録問題といった、著者が検証に携わった事例、
またご専門である経済刑法を巡る判例評釈など、
法律を学ぶ方にもそうでない方にも、共に興味深いトピックが満載です。
さて、実際の問題群は相当複雑であって、
著者が我々庶民向けに単純化した、因果関係の図式を超えているようにも思えますが、
私が読み取ったのは、第一に、変化の目まぐるしい時代にあって、
立法・法執行に携わる専門家が、正確に現状を把握して業務を遂行することによって、
間違っても、世の中の流れ、とりわけ経済活動を停滞させないこと。
第二に、メディア(インターネットの問題が残りますが…)こそ、
正しい情報を伝達すること、また誤報問題を的確に処理するインセンティブを含んだ、
検証システムを構築すること。
第三に、我々自身が、現代社会における法律の位置づけを的確に把握していくこと、
といったことです。
ただ、第三の点については、言い訳めいていますが、多忙な毎日にあって、
メディアの情報を信頼して生きていかざるを得ないのが、我々の現状のような…。
我々庶民がメディア・リテラシーを高めるという宿題が与えられた気がします。
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