著者が述べるとおり、大変地味な内容だと思う。ただし境界というテーマについて、中世だけでなく、古代の『風土記』の世界から論じて、その古層を掘り起こしていることには魅力を感じる。
素人です。完全に理解できたかは??ですが、文章、説明の方法、構成などのためか、この本自体は、わかりやすい方ではないでしょうか。原典にチャレンジする気力がわいてくる本でした。 新書ながら読みごたえのある本意外とレヴィ=ストロースについて専門的に扱っている本は少ない。その中で著者はポストモダニスト達の批判や、カルチュラルスタディーズ、ポストコロニアル論などをよく吟味したあとで、うまくレヴィ=ストロースの構造主義を現代的な視点で捉えている。この本を読めば、とても姿勢としての構造主義が古いとは言えまい。
ただ、いかにしてそのような構造概念を現代の社会の分析手法としていかすべきか、それはわからないままではあり、今後の課題ではある。いずれにせよ、レヴィ=ストロースの入門書として言えば、新書ながら読みごたえのある本であると思う。
しかしこれはひとつの「文学」として読むべきだろう。一人の西洋人が極東の文化と対峙し、彼自身の中でそれを消化してゆく過程の記録として。あるいは、どこかの架空の都市(表徴の帝国)に迷い込んでしまった男の物語として。
この作品を読み終えたときの何とも言い様のない感動は忘れることができないが、それはバルトが捉えた日本文化への郷愁などではなくて、バルト自身に対して、バルトのその真摯な眼差しに対して、文化という名の人々の営為に対して、それを支える全てのエクリチュールに対しての感動であったのだと思う。
これを読んで以降は、バルトの思想というより、むしろ「バルトを“読む”」といった感覚で彼の著作に接している自分に気付く。 エキゾチック・ジャポン勘違いしたヨーロッパ人がエキゾチックなものを求めて膨らましてかいたものとでも言えようか。これは決して否定的な意味で言っているのではない。グローバル化が進む前の日本とフランス、両者のあいだには共通の視点を見出す事が非常に困難であった時代、両者は互いにどのように見えていたのかを知る分には面白いだろう。
ヨーロッパ人が日本を知るきっかけになったのが映画「将軍」であり、かなりエキゾチックに演出された物であった。それを、日常世界でも見出そうとして書かれた物である。現象学の他者思考の実例のようなものである。 反都市論として読みましょういわずとしれたバルトの日本論。しかし,実在の日本を前提としてはいけません。日本が記号的といっているのではなく,記号の本質を説明するために日本という素材を用いていると同時に,都市の記述が必然的に虚構性を帯びることを証明している。