「零の発見」は、算術や記数法の歴史について。どのようにして、学校で習うような計算のしかたが世界標準となったのか。その説明のひとつとして、名も無きインド人が「0」を発見した話や、プラーマグプタという数学者が0を使った計算法を著した話が出てくる。 0が発見される前、世界の人々は0を使わない記数法(インド記数法以外の記数法)で数を数えていたのだから、さては大変だっただろう。13世紀終わりごろのヨーロッパでは、“新参者”のインド記数法を使うことを禁じていたこともあったそうだ。でも、やっぱり0を使う便利さには勝てなかったんだろう。やがて簿記にインド記数法が使われるようになり、15世紀に活版印刷術が生まれてインド記数法は広まっていった。数学とは、社会の必要が発展を後押しするものだ。
「直線を切る」は、数学の内容そのものの話なのでより思考的。「ある円とまったく同じ面積の正方形を、定木(定規)とコンパスだけで作ることができるか」がテーマ。ここには有理数と無理数が深く関わってくる。円の面積を無理数πというキリのない数字で表す以上、キリのある有理数で示す正方形では円と同じ面積を示すことができないと思われるからだ。 このテーマもおもしろいけれど、前段の話もおもしろい。ゼノンの「アキレスの亀」の話は有名だけれど、この話をさらに理論武装して説きづらくさせた話があと3つも出てくる。
学校で習う数学とはまたちがった、深く考える数学があった。答えを出すまでにいろいろなことを考える。数学が苦手な人も、著者がうまく先導してくれるから、少なくとも何が問題なのかは理解できそう。「ああよんで楽しかった」と思えるかはその人次第。けれど「『数学を楽しむ』ってこういうことかもしれない」とは思えるでしょう。
サイコパスというのは、口がうまく、平気で嘘をつき、感情がないんだそうな。悲しいという感情がどんなものか理解はしていて、悲しむふりはできるが、
感じることはできないんだとか。
そうした人がもし日本を動かしているとすれば、恐ろしい限りです。(薬害なんてそれっぽいなあ)
しかし逆にサイコパスを選り分けようとして、魔女狩りのようになるのも怖いですけどね……。 身を守るために読んでおくべき本世の中が不安定になると、この種の「サイコパス」のような人が台頭して社会の崩壊に一役買うのでしょう。「反社会性人格障害」などと最近では言われているようですが「くさいものにはふた」の傾向の強い日本ではこの種の研究が遅れているような気がします。友人関係、職場などあらゆる場面において、通常の人間には想像もつかない「エゴイスティックな独自の世界観」をもつサイコパスが存在するということを知っている必要があると思います。本書によるとサイコパスのうち凶悪な犯罪に手を染めるものはほんの一握りだといいます。サイコパスはあなたの近くにもいるかもしれないのです。人を魅了し、情け容赦なく操り利用し、すべてを奪い、そして去っていくこの恐ろしい人間の性質を知っていることによりその被害を最大限に抑えることができるでしょう。「彼らは、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかのごとく人に思わせてしまう−ちょうど蝋でつく言ったバラのつぼみやプラスチックで作った桃のほうが、実物は不完全な形であったのに、私たちにはより完全に見え、バラのつぼみや桃はこうでなくてはならないと思い込んでしまうように....」
ふつうの中学生には言葉がむずかしいな、主体とか客体とか、省みて中学生の自分に分かったとは思えない。高校生ならおおまかな論理の展開ぐらいまではわかるかな。経験からいって、秀才は、はなにも引っかけないだろうな。
マルクスが「どんなわからず屋でも納得する弁証法の初歩的テキストを書いてみたい」と言っていたと記憶するが、その言葉を実現したのがこの本だと勝手に思っている。
しかし、正直なところ、わからず屋はどこまでいってもわからず屋、というのが現実のようだ。