赤ちゃんが世界に接していく時、こんな感動を日々味わっているのでしょう。でも、赤ちゃんはそれを表現する言葉を持たず、それを表現できる頃には、その感動を忘れてしまっているのでしょう。
言葉を得てからのヘレンの人生は、1日1日がその新鮮な感動にあふれていたのです。春の香り、嵐、カナリアと猫、列車での旅行―ヘレンの自伝は、素直な感動にあふれた美しい世界を、私達に見せてくれます。
訳も内容にふさわしく、繊細な美しさと、しなやかな力強さに満ちていて、まさに珠玉作というにふさわしい一冊です。
巻末の、舞台でサリバン先生を演じた大竹しのぶさんのエッセイにも、胸を打たれました。「続けること、ただ信じ続けること―私にできるのはそれだけです」大竹さんと同様、私もこの言葉に勇気をもらいました。 偉人伝ではない、生きたヘレンに出会える感動作言葉を持たない三重苦のヘレン・ケラーがサリバン先生の教育のもと、「ウォーター」という言葉の存在に気づく姿をクライマックスで描く舞台や映画の「奇跡の人」はあまりにも有名ですが、この本は帯の紹介にもあるように「ウォーター」を、物語の始まり、へレンの「生の始まり」とし、その後の生き様を描いた感動作です。
映画や舞台のように外側から見たヘレンではなく、伝記という点で、内側からヘレンを知ることができたのは本当に新鮮な驚きでした。まだ言葉を持たず、闇と静寂の「牢獄」に閉じ込められていた時の苛立ちや怒り、みじめな思いが胸をついて伝わってくるだけに、「言葉の神秘の扉」を開けたときにへレンが感じた開放感と幸福感がいっそう心に強く響き、扉から洩れくる光にヘレンと共に興奮と喜びを感じることができるのです。
サリバン先生とへレンの交流には読んでいて熱い思いがこみあげる箇所がいくつもありますが、特にサリバン先生が「愛」について教える場面は、この伝記の中でも「ウォーター」に匹敵する名場面だと思います。形あるものだけではなく、触ることのできないもの、自分の心の中にあるものの存在に気づき、その存在をつかまえたいと一心に考えるヘレン。時間をかけてゆっくりとヘレンに「愛」を説明するサリバン先生。二十歳の女性がこんなふうに愛を説明できるなんて・・・。二人の静かな情熱が伝わってくる、美しく力強い名場面です。
その後、ヘレンには「霜の王様」盗作事件のようなショッキングな出来事も起こるのですが、そんな出来事も乗り越えて、むさぼり読む本の中に広がる世界、サリバン先生が指文字で教えてくれる世界、そういったことを通して聴覚や視覚に頼らずともこの世界のひとつひとつを自分のものとして吸収し体験していく姿には驚嘆させられます。「生」を心から愛する彼女の姿に、自分の生き様をふと振り返る気持ちになりました。