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吉田松陰・留魂録 (講談社学術文庫)
【講談社】
発売日: 2002-09
参考価格: 861 円(税込)
販売価格: 861 円(税込)
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カスタマー平均評価: 4.5
「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。」(97頁) 本書2百数十頁のうち『留魂録』本文パートは約40頁を占めるに過ぎないが、その白眉はやはり松陰が死を受容するに至った心延えを述べた上記の文章で始まる有名な第8章であろう。凡そ日本人である限り、おそらく胸を打たれない者はいないのではなかろうか。
古川薫氏の解題と史伝も有益であるが、司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』を既に読了しているという立場からは、個人的には、(1)『留魂録』自筆原本が後世に残るにあたって決定的な役割を果たした沼崎吉五郎に触れたくだり(29?37頁)や(2)松陰の愛号である「二十一回」猛士の由来について述べた箇所(174頁)が裨益するところ大であった。
「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」(78頁、『孟子』離婁上篇第12章)。「明治維新をさきがけた長州人の力を支えたものが、封建的身分関係を超越した友情であったとすれば、その機運を最初につくり出したのは、疑いもなく松下村塾の塾生たちであった(193頁)。
松蔭はなぜ、尊王を唱えたのだろうか 幕末から明治の日本人が何を考えていたか知りたくて漁っている中で手にとった一冊。吉田松陰の遺書である。
解題、本文と現代語訳、松蔭の史伝、という3部構成になっている。
留魂録と題された遺書自体は5000字というから原稿用紙にして14,5枚。志半ばで死を強いられる29歳の青年が処刑前日に書いたものだから、もちろん強く心打たれるものはある。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
彼一人が特別、ということがあるとしたら、それはこの遺書そのものではなくて、彼の薫陶を受けた門下生たちが死を賭して明治維新を実現した、というその一点であろう。その意味では日本の歴史には極めて稀な革命思想家、といっていいかもしれない。体制側からすれば、テロ集団の教祖、であった。
松蔭が掲げた尊王攘夷思想は、松下村塾生山形有朋から連綿と帝国陸軍に引き継がれ、昭和の悲惨な戦争の源流を作った。幕末、天皇は人々から忘れられた存在であった。それがあれよあれよという間に絶対君主に祭り上げられた。そのあたりのニュアンスがやはりわからない。攘夷はともかく、松蔭はなぜ、尊王を唱えたのだろうか。
ともあれ本書の後にぜひ、司馬の『世に棲む日々』をお勧めしたい。吉田松陰が生き生きとした躍動感でもって描かれている。
死を迎える時の自分は?と考えさせられます 松陰の遺言とも言えるこの留魂録の中で、特に印象に残っているのは、
『十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。
二十歳には、おのずから二十歳の四季が、
三十歳には、おのずから三十歳の四季が、
五十、百歳にもおのずからの四季がある。』という言葉です。
『私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げたものはない』が、
『(それでも自分が死ぬという今は)やはり花咲き実りを迎えたときなのである。』
人は必ず死ぬ。だから死ぬ時がわかったからと言ってじたばたするな。
いつ死んでも後悔しないよう、今という時を懸命に生きろ。
という意味だと受け取りますが、死を目前にして、なおかつ、その澄み切った心から湧き出た素晴らしい言葉だと思います。
聞かれもしないのに自分の過去の罪状を告白したことが、死罪の原因となります。
松陰の自分の意志を貫く姿には圧倒されます。
本の後半には、史伝・吉田松陰というタイトルで、訳者の古川氏によって書かれた松陰の半生が記されています。
松陰の生き方を知る上でとても参考になりました。
題名通りにこれこそ”魂の書” すごい人である。本当にすごい人である。なぜか。1)当初捕縛された際の罪状だけでは死罪にはならなかった。しかし、幕府を覚醒させるべくこれまでの所行をすべて告白する。結果、死罪を被る、2)その際、自分の刑死が、後進の者ものを目覚めさせ、しいてはこの日本を新生させることにつながるとしたその心意気と達観、さらに本書にあるように、3)このように澄み切った、しかも潔さで死に臨んだ。いずれも、われわれには真似することさえ叶わない偉業である。ただただ偉業である。さらに、清明たるその死に対し、遺書である本書の原本が後世に受け継がれるまでの波瀾万丈の物語にもまた、私は涙を禁じえなかった。われわれ日本人は、このような方を先達にもつことが叶い本当に幸福である。日本人に生まれ落ちたことを感謝せねばなるまい。蛇足ではあるが、私は医学領域の末席に携わるものである。さる医師が、末期にあるさる患者様に本書を、さらにいうなれば第八章の御文を与えたところ、死に臨んでの覚悟が定まり、ある種の喜びをともなった諦観をその方にもたらした、という逸話にもまた、多くの人々は感動と感涙に誘われるであろう。我々は、先人たちが血と汗と涙でつづってきた日本の歴史と、この素晴らしい祖国日本を守っていくべき責務があるのだと、読後つくづく感じ入った次第である。
感服した。 齢満29歳にしてこの意志ありとは、感服の一語に尽きる。
人としてどう生きるべきか、またどうあるべきか。
何某か感じるものがあるかと思います。
「人生」に於いて必読の一冊です。
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GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた 小学館文庫
・櫻井 よしこ
【小学館】
発売日: 2002-08-01
参考価格: 690 円(税込)
販売価格: 690 円(税込)
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・櫻井 よしこ
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カスタマー平均評価: 4.5
日本人の自虐史観の原因が書いてあります。 櫻井よし子さんの著書は、とても読みやすいです。
他の著書も是非おススメします。
この本は、戦後の日本へGHQが行った自虐史観を持たせる為の操作が書かれています。
今現在のマスコミや日本教育の腐敗がここから始まったことは、過言ではありません。
戦後を知るための教科書として、持っておくにはおススメの一冊です!
敗戦国の日本劣等人の原点 GHQは敗戦日本の占領政策の一環として「真相を日本国民に知らせる」ためのラジオ番組を作った。それは「真相はかうだ」「真相箱」「質問箱」と名称を変えながら、三年にわたりお茶の間に日本の犯罪を告発し続けた。一級のプロパガンダです。戦後日本人の自虐史観はこうして作られました。このウオーギルトインフォメーションプログラムの成立プロセスは下記の本に詳しいです。仰天の内容です。
そして、洗脳を受けた日本人は次の世代への再洗脳をおこないます。これはGHQの居なくなった今でも続いているのです。戦後64年は日本の精神を解体され続け、歴史と伝統を壊し続けたのでした。
アメリカはすごいペテン氏 これは「真相」か、それとも「洗脳」か?!
敗戦直後、GHQは占領政策の一環として
「太平洋戦争の真相を日本国民に知らせる」ためのラジオ番組を作った。
「眞相はこうだ」「眞相箱」「質問箱」と名称を変えながら、
3年にわたりお茶の間に日本の犯罪を告発しつづけた。
真実の中に虚偽を巧妙に散りばめ
”帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した”
との観念を植え付けるGHQの思惑は成功し、
いつしか日本人の歴史観や戦争観を規定した。
「真相箱」の原作本を復刻、
戦後日本の混迷を招いた「問題の書」を白日の下にさらし、
櫻井よしこ氏が徹底解説する。
以上、裏表紙より。
戦後、日本はGHQの壮大な仕掛けによって洗脳された。
現在もその仕掛けは機能しており、左翼政党・マスコミが偏向を煽動しつづけている。
日教組にも定着し維持している。
その元になった情報操作書がこの眞真箱だ。
それには日本の過去から将来への歴史を根こそぎ奪い去ろうとする執拗な意図を潜ませている。
本当に腹ただしい!
アメリカにとっては黄色い猿の文化やプライドなどどうでもいいらしい。
当時の日本の置かれた辛い状況を想像してみる…
みなが貧乏でいつも腹をすかせ空っぽになっているに、娯楽などないに等しかった時代に、
「日本政府と軍がいつも国民を騙していた」と繰り返しラジオで聞かされれば「もうそれでいいです…」と受け入れてしまうのではないか。
アメリカの占領政策はうまくいった。
日本はあれほどの被害を受けていながら、アメリカに親しみを持てるし、
「日本軍国主義が悪かったから原爆を落とされても仕方がなかったのだ」と納得してしまう。
自責を超えて自虐にまで日本を追い込むことができた。
今や、金だけを出し、発言力の全くない国になってしまった。
アメリカはすごいペテン氏だ。
そして日本人は巨大な檻の中で、自由だと思い込まされているだけだ。
どうせなら正しい洗脳を韓国や中国で是非やってもらいたいもんだ。
正確な引用こそが大事なのでは? ラジオという媒体を使って、宣伝活動することは、映画と同様かそれ以上にかつては効果があった。GHQによる放送については、断片的な資料を読んだことがあるが、ここまで質量とも膨大な内容を正確に引用した書物は始めてである。
まずは一時的な資料を正確に把握することが、歴史認識の出発点であるという立場からすれば、ややくどい引用も、資料として貴重と思うべきだと考える。
櫻井氏が、引用の一部をカットしたり、省略すれば、その部分について異論が出るかもしれない。
そういう意味でも、徹底的に引用し、それに最小限の解説を付したというのは公正、公平な作品であるといえよう。
「嘘をつこうとする人間はまず真実を述べる」 これはユダヤの格言だが、GHQによる言論/思想統制はまさしくこの類であり、極めて狡猾であることが分かった。読み始めた時のイメージとは違い、随所に日本軍の功績をたたえるコメントがちりばめてあったりとGHQはうまく「日本メディア」の仮面をかぶって日本人を洗脳した。これをうまく受け入れてしまったのは日本人の「人の良さ」と「敗戦のショック」のためか。
真相箱の各章?を全文引用しているためかもしれないが、引用部分が多少くどい感がある。そのため、途中からは原文をすっとばし桜井氏のコメントのみを拝読。もう少し整理できたかな、ということで星4つ。
戦略的なプレゼンテーションとプロパガンダは日本人が不得手とする分野だが、そういった点についての自戒と内省のきっかけともなる本だった。
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ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) 新潮文庫
・塩野 七生
【新潮社】
発売日: 2002-06
参考価格: 380 円(税込)
販売価格: 380 円(税込)
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・塩野 七生
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カスタマー平均評価: 4.5
豪胆ローマン 第一次ポエニ戦役を描いた上巻。
この巻ではハンニバルは出てこない。
父、ハミルカルが出てくる。
紀元前264年?241年までの出来事。
--
農牧民族であったローマ人。
海軍が強いとされていた
カルタゴと戦争するために
初めて海軍を作る。
初めての海軍だし
勝てるかわかんないから。
船に鉄製の鉤(要はでかい鉄柱みたいなの)を付ける。
んで、カルタゴの船が近くに来たら、
この鉤をカルタゴの船に倒して道を作る。
そっからカルタゴの船に雪崩れ込んで殴る。
(地面がある殴り合いなら自信有り)
という。
頭が良いのだか、
愚直なのだか、よくわからない工夫で
カルタゴに勝つ、勝利に貪欲なローマ人。
つか、なんでもいいから。
とりあえず勝ちたかったのだろうな。
船団のトップに立つのは
一番偉い執政官のふたり。
ツートップでカルタゴに殴りかかる。
力と名誉が全てで、戦時中ともなれば。
上が強くなきゃ下が付いてこないってのは
わかるのだけれど。
どこまで豪胆なんだと。
おもろい。
--
何度も繰り返し語られているのだけれど。
戦争に負けた将軍は。
ローマでは処罰されないらしい。
死ぬくらいなら、せっかく生き残ったんだから
次に勝てと。
日本だったら侍の恥で切腹なのだろうに。
紀元前3世紀から合理的なラテン民族。
民族性の違いを感じました。
ハンニバル戦記 史上に燦然と輝くハンニバルの戦い。
上巻では、第一次ポエニ戦争を扱っているために、その導線
が引かれているに過ぎないが、読み物としての充実振りすこ
ぶる高い。二十歳の頃は読みづらいと感じていた塩野女史の
文章だが、私の勘違いだったらしい。
大国カルタゴへの挑戦ともいえる戦いは、ローマにとって長
く過酷なものだったろう。同時に地中海の権益を一気に強く
するという収穫もあった。
ローマの発展はとまらない。
戦争家の真骨頂 あのハンニバルである。幾度となく語られた彼だが、このようなスケールから描かれたことは、これまでなかった。常に、日本人好みの「ヒト」に焦点を当てたものが多いからだ。
でも、塩野は違った。というより、歴史は違う。もっと広大で深遠なシステムなのだ。これを喝破した彼女はすばらしい。
スキピオがハンニバルに「あなたは戦争の時代にはふさわしいが、平和の時代には必要ない」と言ったのは、的を得ているのだろう。
第1次ポエニ戦役とその後 地中海の制海権を巡って、ローマとカルタゴが激しく争った時代の物語。本巻では、第1次ポエニ戦役とその後のことが扱われていて、カルタゴがシチリアに持っていた権益をどのようにして失い、ローマがどのようにして地中海に覇権を唱えたかが分かりやすく描かれている。
この時代、シチリアをめぐる抗争が絶えなかったことは世界史で習った。しかし、どのような背後関係があって、どのような規模の抗争が行われたのかは聴いたことがなかった。本書は、シチリア勢力分布図を何度も示し、ある場所を確保することがローマやカルタゴにとってどのような意味があるのかを分かりやすく説明してくれている。
とても細かなところまで目が行き届いているのがこの本の特徴だと思う。印象に残ったのは、ローマ軍の宿営地建設のマニュアル化の徹底ぶりだった。
「ローマ人には、マニュアル化する理由があったのだ。指揮官から兵から、毎年変るのである。誰がやっても同じ結果を生むためには、細部まで細かく決めておく必要があった。」
歴史は面白い 本書はハンニバル戦記の序章が丁寧に書いてある。
地図や武器、勢力図などが分かりやすく散りばめられていて、読み手の想像力を刺激しながらもそれだけでは追いつかない部分をしっかりと補ってくれる。
ハンニバルやスキピオなどの歴史上人脈上の伏線を少しずつ織り交ぜながら物語が進んでいくので徐々に盛り上がっていく緊迫感が文章から伝わってくる。
船さえまともに操れなかったローマ人が独創的な海戦をこなせるようになるまでのスピードの速さは本当に凄い 他民族を潰さず受け入れるという路線がここでも成功している
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きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)
【岩波書店】
発売日: 1995-12-18
参考価格: 903 円(税込)
販売価格: 903 円(税込)
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カスタマー平均評価: 4.5
知の喪失 "Devote yourself to Science." わだつみ平和文庫が甲州市(旧塩山市)に危篤中の中村克郎氏に代わり長女の中村はるね医師により開館された。10万冊以上におよぶ書籍から約3万冊が展示されている。
克郎氏は下記徳郎氏の弟である。
中村徳郎
昭和19年6月20日午前8時
父上母上様。弟へ。
門司市大里御幸町 辰美旅館 徳郎
何もかも突然で、しかも一切がほんの些細な運命の皮肉からこういうことになりました。しかし別に驚いておりません。克郎(弟)に一時間なりとも会うことが出来たのはせめてもでした。実際は既にその前日にいなくなっているはずでした。そうしたら誰にも会えなかったのです。
中略
最も伴侶にしたかった本を手元に持っていなかったのは残念ですが致し方ありません。それでも幾冊かを携えてきました。
中略
今の自分は心中必ずしも落ち着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来ないからです。いやしくも一個の、しかもある人格をもった「人間」が、その意思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけもかわらない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右されることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんな所へ行っても将棋の駒のようにはなりたくないと思います。
ともかく早く教室へ還って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります。こうやっていると、じりじりと刻みに奪われてゆく青春を限りなく惜しい気がしてなりません。自分がこれからしようとしていた仕事は、日本人の中にはもちろんやろうという者が一人もいないと言ってよいくらいの仕事なのです。しかも条件に恵まれている点において世界中にもうざらにないくらいじゃないかと思っています。自分はもちろん日本の国威を輝かすのが目的でやるのではありませんけれども、しかしその結果として、戦いに勝って島を占領したり、都市を占領したりするよりもどれほど眞に国威を輝かすことになるか計りしれないものがあることを信じています。
自分をこう進ましめたのは、いうまでもなく辻村先生の存在が与って力ありますが、モリス氏の存在を除くことが出来ません。氏は自分に、真に人間たるものが、人類たるものが何を為すべきかということを教えてくれました。また学問たるものの何者たるかを教えてくれたような気がします。私はある夜、西蔵(チベット)の壁画を掛けた一室で、西蔵の銀の匙で紅茶をかきまわしながら、氏が私に語った"Devote yourself to Science."という言葉を忘れることが出来ません。
彼らが望んだ未来 飛行機の燃料を片道分しかつまずに、敵陣に突っ込む神風特攻隊。
よく外国の人から
「日本人はなぜそんなことができるのか?」と理解されなかったと言います。
ですが、この本を読み終えたあと、こんな言葉が浮かんできました。
「彼らは特別に異常だったわけではない。」
大切な家族を守るために、早く戦争を終わらせ、日本の未来を明るくするために。
そんな思いで彼らは「必死」の覚悟で戦争に向かっていました。
彼らの葛藤が綴られた日記がこの本には詰まっています。
彼らが望んだ未来を、今生きているすべての人に読んでほしい一冊です。
「虚構の中に死んでいった」(冒頭の詩)青年らの声 私は、製作者の意図する、意図しないは別として、
戦争を扱った著作や映画には、(作品として構成・製作される以上どんなものでも、)
多かれ少なかれ、「美化」や「戦争観の押し付け」を感じてしまいます。
顔のぐちゃぐちゃに潰れた米兵の写真や、腹部の破裂した日本兵の写真、
原爆被害者の悲惨な写真など多く見たことのある私は、
賢しらな政治論や、理屈をこねくりまわした正当化が、実に愚なことで、
戦争自体、偏屈なナショナリズムや国家権力者の欲望以外の何ものでもないことを
知っているつもりです。
この数多の手記は第三者に作品化されていない、いわば、生の声です。
大人達がこれを読むこと、そして子供達に読ませることです。
二十代の私には辛うじて戦争の悲惨さを語ってくれた祖母がいました。
これからの子供達は不幸にも自分の血縁に戦争を語ってくれる人がいなくなります。
どうか、商業作品でない、
本物の戦争をたんたんと語ってくれるこのような書や、写真、資料が
忘れ去られることなく伝えられていってほしいと願わずにはいられません。
まずはGoogleを使ってみよう! この本だけでなく、保坂正康「『きけわだつみのこえ』の戦後史」をあわせて読むことを強くお勧めします(せめて、googleで「きけわだつみのこえ」を検索してみよう)。
日本語の問題として、遺稿の中身を書き換えることは「遺稿の取捨選択」とは言わないし、「改竄の噂」は正しくは「改竄の事実」でしょう。因みに、上記の保坂本を読めば、美談の裏にある腐臭の源は、「改竄」などという生易しいものだけではないことが知れます。
私は若くして散っていった人たちの思いには敬意を払いたいと思います。言うまでも無いことですが、時代背景を考えれば戦地に向かっていった人たちの圧倒的大多数は、(良かれ悪しかれ)国のために死ぬことを是としていました。「大日本帝国万歳」と唱えて死地に向かった人にも各人各様の思いがあり、そういう人たちも含めて敬意を払いたいということです。
死に行く人の思いに感動するのは自然な心の動き、ということは否定しませんが、この本は特定の団体により特定のイデオロギーのために操作されたものだということは理解しておくべきだと思います。
感動の一言につきる なぜ彼らが若い命を捨てなければならなかったのか、ナショナリズム、保守化の風潮中で貴重な本である。改竄の噂を意図的に流す人々がいるのは残念である。たとえ改竄があったとしても彼らが、志半ばで死んでいった事実は消せない。残された遺族の嘆きを思うと心が痛む。彼らのほかに遺書も残せず死んだ人、いいなずけを残して死んだ人など多くの悲劇が有ったことを忘れてはならない。巻末の経歴は個人情報保護法に引っかかるのでは?
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ノモンハンの夏 (文春文庫)
・半藤 一利
【文藝春秋】
発売日: 2001-06
参考価格: 660 円(税込)
販売価格: 660 円(税込)
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・半藤 一利
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カスタマー平均評価: 4.5
読むべき本 太平洋戦争を評して、よく「アメリカの物量に負けた。国力が違った。」といわれる。しかし、「なぜその国力の違う相手と開戦したか」という点が最大の問題であり、さらに「物量もさることながら、あまりにも杜撰な作戦計画が多すぎるのではないか」、「戦争指導者は人命を軽んじており、兵は無駄に死んでいったのではないか」、「戦争指導者は作戦が失敗しても信賞必罰となっていなかった」など、あまりにもひどいことが多いように思う。
そして、1939年にソ連との間で起こった「ノモンハン事件」は、その原点であり縮図でもある。
著者は、この事件を単に局地的な事件として記述するのではなく、日本の置かれた国際情勢(三国同盟交渉など)、ヒトラーのナチスドイツやスターリンのソビエト連邦など世界的な視点を交えつつ、この事件を重層的に描いている。太平洋戦争に至る時代の歴史を知る上でとても有益な本といえる。
さらに、上記のような傾向は、現代の日本の組織においても根絶されたとは言えないと思われ、それを再認識する意味でも有意義な本であり、必読の書といえる。
今こそ読まれるべき作品 内容は他のレビューに詳しいので、読書歴の一部として書いておくだけにするが、読後に来るのは圧倒的な怒りと、どうしようもない虚無感である。日本陸軍の馬鹿さ加減に対する怒りと、でも世の中の仕組みってこうだよね、別に何も変わってないやね、という空しさ。抑えた文章がそれを際立たせる。
ところで「ノモンハン」と聞いて何の話かわかるのって、どの世代までだろう。私は三十代で読んで、今、四十だが、他のレビュアーも何となく近い世代かなーと感じる。できたらもうちょっと若い世代にも読んでほしい作品である。「知らない」ということほど怖いことはない。
平成のニッポン国民の知性も心配に・・・ この本は資料としても文学としても読み応え十分です。
私が当作品を読んで一番衝撃だったのは、
ノモンハン事件当時、日本国民の世論が、
完全に親ナチス・反英米だった事でした。
三国同盟を締結せんと画策していた帝国陸軍が
マスコミを使って世論を誘導したかもしれませんし
外国の情報機関の工作員の仕事かもしれません。
しかし、"絶対悪"ヒットラーと手を組むことは
日本国民の民意でもあった事は事実です。
この本を読んで帝国陸軍の組織腐敗を嘆いたり
高級参謀の無能ぶりを嘲笑ったりするのは簡単ですが
過ちから学ぶ必要があるのは軍人だけではなく
現在の日本を生きる私たち国民一人一人もそうです。
今も昔も、世論や民意がマスコミによって作られています。
日本国を再び過ちを犯す国にしたくなければ、
我々国民がもっと賢くなるしか他に道はないわけです。
この本は平和を願う日本国民必読の書です。
安全な場所にいる人間が唱える現場主義とは この本は、ノモンハンにおける戦いについてのミクロな話ではなく、国際政治の文脈の中に位置づけた上での
ノモンハンの話、もしくは、ノモンハンという地点に最終的に結実された日本および諸外国の政治的・軍事的
意思決定のプロセスについて語った本、もしくは、日本陸軍幹部、および政治的指導者がいかにダメダメだっ
たかということを語った本である。
ノモンハンの戦いの詳細を知りたいのであれば、アルヴィン・D. クックスの「ノモンハン(全四巻)」がよいかと。残
念なことに冷戦前に書かれているのでソ連側の資料、とりわけソ連崩壊後に発掘された資料を参照すること
ができなかったけども。また、ソ連崩壊後に発掘されたソ連側の資料をもとに書かれた「ノモンハン事件の真
相と戦果」という本もあるので参照されたい。
ジューコフファンは必読 満蒙国境紛争が日ソ戦に発展したノモンハン事変ネタだが、
ヒトラーやスターリンのエピソードも多く紹介されている博覧強記の書。
ノンフィクションだが、小説並みに人物の内面の心理描写もされてます。
なんで、そんなことまで判るの?
と疑問に感じる箇所もあるが、まあ、若気の至りとして許してあげましょう。
ヒトラーとスターリンの801小説としても読めます(読むなよw)
で、世界一の悪で阿呆な大日本帝国軍ネタは、
最悪の軍人は辻政信であったと理解出来ます。
他の作品はけっこう筆を押さえて冷静に書いているが、
これは、絶対悪辻政信に対しての怒りが迸ってます。
ソ連軍ファンにはジューコフ将軍の大活躍に胸が躍るであろう。
ノモンハン事変でジューコフは日本軍に32%もの死傷率を与えた。
日本軍の主力の第23師団に対しては76%もの見事な包囲殲滅戦を完遂した。
太平洋戦争でもっとも悲惨とされるガダルカナルの戦いでも34%である。
包囲殲滅戦の教科書とされるジューコフの見事な戦いに酔いしれろ!
やりきれないのは、名将ジューコフの包囲から脱出したわずかな日本兵は、
敵前逃亡の罪でほとんどが死刑にされているのだよね。
法廷も開かれずに病院で暗殺された下士官もいた。
日本人の敵は大日本帝国軍の高級将校であったことがよく判る良書である。
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ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) 新潮文庫
・塩野 七生
【新潮社】
発売日: 2002-06
参考価格: 460 円(税込)
販売価格: 460 円(税込)
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・塩野 七生
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カスタマー平均評価: 4.5
どうしたんだローマン!? 第二次ポエニ戦役前半?後半までを描いた中巻。
紀元前221年?206年までの出来事。
--
第一次ポエニ戦役で敗将となった
ハミルカルの息子、
ハンニバルが登場。
スペインを植民地にしたハンニバル。
父の積年の思いを晴らすかのように。
大軍を引き連れて。(象込み)
アルプスを越え、ローマの本拠地である
イタリアに出陣。
イタリア半島を縦横無尽に。
体内を暴れまわる毒物かの如く。
蝶のように舞い、蜂のように刺すハンニバル。
強い。
--
1巻?3巻まででローマに多少なりとも
感情移入しちゃってるので。
どうしたんだ、ローマ!
と励ましたくなります。
英雄同士の決戦 戦争とは外交の一手段。そんなことを言ったのはどこの誰だったか。しかし、この戦争に限って言えば、そうではなかったかもしれない。第二次ポエニ戦役は、天才ハンニバルの私怨により引き起こされた戦争だった気がする。
幼少の折、第一次ポエニ戦役でのローマに対する父の無念を晴らすよう神に宣誓したハンニバルは、28歳の時、双方の本国から離れたスペインでローマの同盟都市を攻略し、無理矢理カルタゴとローマの全面戦争に持ち込む。その後、アルプスを超えイタリア半島に侵攻し、次々とローマ軍を撃破し、蹂躙する。
国家が一人の天才の前になすすべも無く敗れるかという時期にローマに登場するのが、スキピオだ。ハンニバルより12も若いスキピオは、敵将を戦術の師とし、カルタゴ本国を攻略することによって、ついにハンニバルをイタリア半島から追い出すことに成功するのだ。
一人の天才によって戦争の形式が劇的に変わる様と、共和制ローマのシステムが最も有効に機能していた時代を知ることができる一冊。
第二次ポエニ戦役 地中海の覇権を失ったカルタゴは、スペインへと支配地域を広げていった。スペイン進出を主唱し実行したのは、第一次ポエニ戦役のカルタゴ側の英雄ハミニカル。ハンニバルの父であった。
スペインの支配を安定させたハンニバルは、ピレネー山脈を越え、ローヌ河を渡り、アルプスを越えてイタリアに侵攻した。本巻は、ハンニバル戦記と呼ばれる第二次ポエニ戦役を扱うものである。
稀代の戦術家といわれるハンニバルは、戦略にも長けていたようだ。彼の戦術・戦略のために、ローマは連戦連敗を重ね、ローマ連合を構成する都市国家の離反すら招いてしまう。
そのような非常事態にローマ人がどのように立ち向かったか。なぜ、ハンニバルはイタリアでの優勢を保てなかったのか。どうしてカルタゴはハンニバルを孤立させてしまったのか。そんなことに思いを馳せながら無我夢中で読んでいたら、あっという間に読み終わってしまった。
天才ハンニバルの登場 本書が面白いのは、それぞれの巻での主役が随分前から導火線のように伏線としてチョコチョコ登場してきていて、ドカンと主役に躍り出たときには読み手に早くも感情移入させることに成功している点だ。ハンニバルにしてもスキピオにしてもそれぞれの家柄、両親、幼いときから初めての従軍までを織り交ぜており「人間突如として頭角を現す奴なんていないんだ」と改めて思い知らされる。
戦術や戦略面、図などが充実していて想像力を掻き立てるが、その戦闘までの政治的過程も描いているために指揮官の顔やその人物を選出していくローマの内情までよくわかる。
大スターへの恋慕 ポエニ戦役の大スターである ハンニバルの活躍がふんだんに書かれているのが本書である。
塩野は 冷静な歴史叙述家である一方 時としてミーハーなまでに 歴史上の人物に惚れてしまう点が特長である。塩野が「ローマ人の物語」なる大長編に挑んだのも ローマ人を偏愛したからだと思うが 本書に限っては ローマ人と敵対した ハンニバルに惚れている点が良く分かる。読んでいるこちらも苦笑してしまうほどだ。ローマがおたおたしているのを 塩野は 幾分楽しげに描いている部分すらある。
但し 冷静な歴史叙述家の視点は忘れてはいない。ハンニバルの話も 単に戦闘の描写で済ましているわけではない。おそらく ハンニバルの話は「アルプスを象を連れて越えた」という 幾分漫談調に語られることも多かったと思う。それに対し 塩野は 冷静に ハンニバルが目指したものは ローマ帝国をローマ帝国たらしめた ローマ同盟の政治的撃破を ハンニバルが目指したとしている。
大スターに対して キャーキャー言っていながら 目が笑っていない塩野の顔が目に浮かぶ。
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[ 文庫 ]
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江戸の性生活 夜から朝まで―Hな春画を買い求めたおかみさんたちの意外な目的とは? (KAWADE夢文庫)
【河出書房新社】
発売日: 2008-05-15
参考価格: 540 円(税込)
販売価格: 540 円(税込)
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カスタマー平均評価: 0
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[ 文庫 ]
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明治奇聞 (河出文庫)
・宮武 外骨
【河出書房新社】
発売日: 1997-02
参考価格: 662 円(税込)
販売価格: 662 円(税込)
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・宮武 外骨
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カスタマー平均評価: 0
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[ 文庫 ]
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「戦国武将」がよくわかる本 (PHP文庫)
・株式会社レッカ社
【PHP研究所】
発売日: 2008-08-01
参考価格: 680 円(税込)
販売価格: 680 円(税込)
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・株式会社レッカ社
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カスタマー平均評価: 4
良くも悪くも初心者向けだがオススメ 今更ごちゃごちゃと「内容が薄っぺらいうんぬん」なんて
野暮なことは言わないほうがいいでしょう。
この本を「物足りない」と感じるコアな戦国ファンの方は、
文句を言う前にもうこの手の本を卒業する段階にきている
と考えたほうが良いかと思います。
さて、この本は帯にも書かれているとおり、
昨今の戦国ゲームブームで「戦国時代っておもしろそう」と
興味を持っているライトユーザー向けの本です。
各武将になかなか麗しい戦国武将のイラストもついており、
その枚数も凄く多いので(数ページ毎に掲載)
各武将のイメージを簡単に頭に思い描けるのが
初心者にはありがたいのではないでしょうか。
これまでの戦国武将本での武将イラストといえば、
どれも同じようなヒゲヅラの同じような甲冑のおじさんばかり。
頭の中で合戦をイメージしようにも各武将の区別ができず、
加藤清正だの福島正則だのと言われてもぴんと来なかった方も
多かったのではないでしょうか。
そういう点ではこの本のイラストは非常に個性的に描かれているし、
絵柄も学習漫画チックじゃない垢抜けたテイストで纏められ
想像しやすく・覚えやすく・区別がつけやすいと三拍子揃っています。
とにかく先に有名武将をあらかた覚えてしまいたい方には最適です。
まあ、肝心の説明文(本文)のほうは、
どこにでもある戦国武将本とほぼ同じですし、
「よく分かる本」というよりは「大体分かる本」程度ですが、
イラストのお陰で若い層の「覚えよう・学ぼう」という
モチベーションは格段に上がると思います。
良くも悪くも初心者向けですが、個人的には入門書としておすすめです。
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[ 新書 ]
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歴史とは何か (岩波新書)
・E.H. カー
【岩波書店】
発売日: 1962-03
参考価格: 819 円(税込)
販売価格: 819 円(税込)
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・E.H. カー ・E.H. Carr
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カスタマー平均評価: 4
歴史に関する態度 第1章では、歴史家について、ケンブリッジ近代史を引用して解説している。
第2章で、社会と個人について整理している。
第3章は、「歴史と科学と道徳」である。
注なども豊富で、歴史に親しむ際に、読んでおくとよい本である。
学校の教科書にいかがですか 将来を担う私たちの子供たちのために必ず触れさせたい歴史哲学。このようなアプローチが学校教育にあればいいのに…と、ため息が出ます。
こういう名著って、中韓などの国でもちゃんと翻訳されてたとえ少数でも流通してるのでしょうか。
翻訳の日本文はちょっとカオス…でした。
誰か翻訳改訂版だして?
そしたらもっと広く読まれるのでは?
「いまを生きる」ための戦略的技術としての歴史研究・歴史学習 E.H.カーの著作で、日本でとても有名な著作。自分も高校生の時に買って、何度も挑戦してはわかりにくくて放棄し、また読んでの繰り返しだった1冊。
今改めて読み返してみると、歴史の持つ個人的効用、社会的効用がわかり始めたような気がする。「歴史は現在と過去の対話である」という言葉がここではとても印象的に使われているが、じゃあなぜそんな対話をする必要性があるのか。
今の社会で広範に流布している風潮は「いまを生きよう」や、「二度とないこの瞬間を大事に生きていこう」といったものが有力に見えて、そこには歴史を学ぶ必要性・必然性は欠落しているし、歴史への意識はかえっていまを生きる上で邪魔な障害物でしかないように思わせる。じゃあなぜ、歴史を学ぶ必要があるのか。
それは、いまを生きるときの「いま」は歴史的に構築されたもので、何らかの勢力が特定の意図の下で設計した結果として「いま」が「あるがまま」にあるという事実を、歴史は学ぶ者に教えてくれるからだ。この議論は本書の中に収録されている。そのことこそが歴史を学ぶべき最大の理由なのだと思う。毎日毎日、毎週毎週、毎年毎年「いまを生きる」ばかりでは、自分たちがいる位置について知ることは出来ないし、自分たちを取り囲んでいる諸々の制度の仕組みについても知ることが出来ない。「いまを生きる」精神を要求しているのは、例えば今の産業システムであり、それを前面に立って支えているマスメディア産業であり広告産業であり、そこでは物事のもつ歴史性を隠蔽し、また歴史自体を商品にすることによって人々を永遠に「いまを生きる」状態にとどめようとする傾向をもつ。そんな状態を食い止めるのが、現状の持つ問題性を明らかにする戦略としての歴史研究だ。
そういう風に考えれば歴史研究は実はとても過激なインパクトを齎すことの出来る分野でもあり、普通に生きている人々にとっても「いまを生きる」際の基本的なリテラシーともなり得る。この著作は、そんな視点からの読解にも耐えうる、中身の濃い1冊です。
「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとく 大学では西洋史を専攻した私。史学科の課題図書の筆頭はこのE.H.カー『歴史とは何か』だった。そしてカーの決めゼリフは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40)
でもこれだけでは、カーの真意は伝わらないように思うので、私の言葉でカーの代弁をしてみたいと思う。
一般的には、歴史的な事実というと、考古学や日本史の遺跡発掘のイメージで「客観的事実」を宝探しの宝を探すように「発見」し、それを記述したら歴史が出来上がり、という感じがするのだが、そうではない、とカーは言いたいのである。そして「主観的」という言葉が何か悪いものであるかのように考えられがちだが、そうではなく、歴史家の「判断」があって初めて「歴史的な事実」として認められるのだということである。そうすると主観的な判断が入るので「客観的事実はない」「不変の真理はない」と嘆いたり、怒ったり、ぐれたり、すねたりしてしまう人がなぜがいる。それが学問的態度ではない、って言うことなのだ。私たちができることは、限りなく近づこうという態度で臨むことだけだ。そしてあくまでも仮説として設定することに意味があるのである。「客観的事実」を設定すること、「不変の真理」を設定すること、それに意義がある。有るかどうかは問題ではない。(愛も神様もそういう存在だと私は思っています。)
画家の安野光雅は数学者で水道方式で有名な教育家でもある遠山啓と対談し、以下のように語っている。「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとくこと。これが科学教育の第一歩だと思います。
●安野:ひとつの目的に到達するための一種の方向感覚のようなものはありますか。(中略)
●遠山:構想力といいますか、これは数学ばかりでなく、科学ぜんぶがそうだと思います。科学をあまり知らない人は、科学というのはわれわれの世界を写真みたいに写す学問だというように考えている。そういう人が多いのですが、実際は写真みたいな写し方ではない。むしろ、絵に近いです。不必要なものは大胆に捨象してしまう。重点的な点だけつかみだして見ていくんですね。だから、科学的な精神というのは、なにかおのれをむなしくして、写真のカメラみたいにならなければいけないように考えている人が多いようですが、実際は、そうではない。非常に主観がはいるわけです。
『空想茶房』(平凡社1986年 <初出> 美術と数学との対話『遠山啓との対話 教育の蘇生を求めて』太郎次郎社1978年)
2002-11-9記す
歴史家の本分は何か 歴史哲学の古典的名著。
歴史事実、歴史叙述、法則、進歩などなど、歴史哲学の重要な問題が簡潔にまとめられている。
歴史哲学の最初の一冊にも薦められる本であろう。
以下概要
歴史は客観的に与えられたものではない。
なぜなら、歴史家は無数にある過去の事実の中から、何個かの事実を選び出して叙述するものだから。
また、おのおのの事実同士をどのような関係で結びつけるかも、歴史家の主観や現在の価値観が入り込むものである。
しかし、歴史は好き勝手に作っていいものではない。歴史家はやはり過去の事実にもとづかなければいけない。
だから「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(p40)
歴史家の中には、歴史事実をすべて個人の力に帰してしまうものと、すべて歴史の流れに帰してしまうものとある。
しかし、そのどちらもが誤りである。歴史は、その両方によって動かされているのだから。
歴史は科学であり、歴史家は史実という特殊的事例から一般的事例を引き出し、現在の我々に警告や教訓を与えていくものである。
歴史事実の因果関係もまた、そのような地平において設定される。
歴史の外側に完璧な未来や絶対的法則を設定するのは誤りだが、歴史をカオスとして捉えるのも誤りであり、我々は歴史の教訓を学び、未来へと生かすべきなのだ。
上記したように総じてよく出来た書である。
しかし、歴史をあそこまで科学にしてしまうのには疑問も残る。
確かに歴史を科学として機能させることは出来るし、そういう側面も歴史は有しているが、それだけが歴史ではないように思われる。
我々が歴史の本を読んで楽しんだりするのは、過去から教訓を学んで未来へ生かすという目的だけだとは到底思えない。
歴史には、そうした科学以上の深みがある。
そこら辺が、本書ではかけてしまっているように思えた。
なお、訳については、確かにときどき変な文章はあった。
例えば「第二点は、歴史は、なぜ個人が「彼ら自身の気持ちから見て、このように行動したのか」を研究する、というのですが、一見したところ、これはひどく異様に思われますけれども、私の感じでは、他の敏感な人々と同様に、ウェジウッド女史もぞ文が説教していることを自分では実行していないようです。」(p67)は、わかるといえばわかるのだが、やはり読みにくい文章だと思う。
しかし、こうした文章はそんなに多くはなく、訳で困ったりするようなことはほとんどなかった。
なので、訳の問題はそこまで気にしなくてもいいように思われる。
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