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[ 新書 ]
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ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書)
・吉見 俊哉
【岩波書店】
発売日: 2009-01
参考価格: 819 円(税込)
販売価格: 819 円(税込)
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・吉見 俊哉
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カスタマー平均評価: 5
かつてこういう輝ける時代があった ポスト戦後社会が、豊富な資料を元に生き生きと描写されています。
朝鮮戦争後、高度成長の時代を迎えた日本。学生運動については、浅間山荘事件を導入にして、その後のベトナム平和運動と当時の世相を伝えていきます。1970年の万国博覧会は、日本の高度成長の終焉をつげるエポックメーキングなイベントであり、当時の状況を知る人には懐かしいできごとであるとともに、当時の状況を知らない人にその位置づけの重要性を知ってもらいたい出来事です。
その後の日本は、環境問題の深刻化、2度の石油ショック、円高不況と当時の輝きは失われていきます。唯一日本が自信を取り戻したのがバブルの時代でしたが、バブルの崩壊で「失われた10年」を経過し、現在は、新たに世界不況の荒波に揉まれている状況です。
岩波のシリーズ近代史の最後(最終巻は、総括編?)の一冊として読み応えのある内容です。先行きの見えない現在において、歴史に学ぶ意義は大きいと思います。
些細なことをあげれば、「いい日旅立ち」は、1978年11月リリースです。
いわばこの本は、日本史の終わりをも宣言している シリーズ日本近現代史の第9巻として書かれたもの。
70年代以降我が国に起こった衝撃的な事件をちりばめながら、この国の変質していく社会を著者独自の切り口で描き出している。
地方に広がる拡散した郊外。その中で暮らす個と化した家族。
戦後のばらまき政治から、公共事業への反対の動き。
そして環境問題への関心の高まり。
(ちなみにここで登場するのは、それまで築かれてきた環境行政を方向転換し、環境問題には消極的な現石原都知事である。)
進む円高を背景に、海外へ流出していった大企業。その背後で進む格差社会。
それとともに、日本も拡散していく現在、国境は確実に消失している。いわばこの本は、日本史の終わりをも宣言している。
その中で、新しい始まりとはどのような時代をいうのか。
アジアの中で拡散する日本というキーワードが一つのヒントになりそうである。
歴史書でありつつも現在進行形の出来事として 「『戦後」から『ポスト戦後』へという、本書で扱う諸々の変化に通底しているのは、
何かの時代の『始まり』ではなく、むしろ『終わり』である。……こうしたなかで、いかなる
新しい『始まり』が可能なのか」(「はじめに」より)。
日本戦後史における「終わり」こそが本書におけるキーワード。
例えばあさま山荘事件が露わにした左翼の「終わり」に端を発し、角栄をその頂とする
利益再配分モデルの「終わり」、旧来の農村共同体システムの「終わり」、あるいは
グローバリゼーション及び新自由主義に由来する日本あるいは日本史の自明性の
「終わり」など、種々の「終わり」の風景が実に滑らかに記述されていく。
そしてまた同時に、数々の市民運動の中に新たなる「始まり」の可能性を模索する。
極めて教科書的な事象の整理の傍らで、氏の本領たるメディア論や都市/郊外問題などを
絡めて、「日本近現代史の時間や主体が自壊していく過程」をクリアに概説した一冊。
「終わり」をめぐる語りでありつつもまた、中曽根以降の新自由主義描写が示すように、
連続的な現代進行形の話として読まれて然るべきところでもある。
なお、いくつかの記述への異論反論については、本書が概説的な記述に留まっている以上、
あまり有意義とは思えないので割愛。
21世紀の歴史の主体を考える書 「歴史とは、時間的である以前に空間的なものである。
さまざまな地域にさまざまな経験の連なりがあり、
それらは支配、抵抗、誘致、搾取、交流、連携、移動等々、
無数の関係で結ばれている。
歴史とは、この空間の広がりの記述であり、単一の「通史」は存在しない。」
こんな歴史認識のもと、ポスト戦後社会を俯瞰する。
ポスト戦後社会とは、
冷戦、福祉国家、高度経済成長の戦後社会を経た1970年代半ば以降の日本。
つまりポスト冷戦の世界秩序、新自由主義の国家体制、
グロ?バリゼ?ションの歴史的潮流の中にあるといわれる時代である。
さすがに社会学・文化研究・メディア研究を専攻されている著者らしく、
よくありがちな通史とは一味異なる多面的な視点からの考察によって、
歴史の躍動感のようなものが伝わってくる。
<新しい時代を切り開く新しい歴史的主体の形成>
なによりも、その答えを見つける手がかりを提供しようとするのが本書の主眼のようだ。
そのキ?ワ?ドの一つが「緩やかなネットワ?ク」ではないだろうか。
湯布院や小樽などでみられる内発的な発展をめざすまちづくりの動きや、
それを担う自己決定する地域住民に、ささやかな期待が込められているようにも感じられる。
<21世紀の歴史の主体を考える書>
それが読後感である。
コンパクトにして鋭い考察 文化研究を専攻する1957年生まれの研究者が、2009年に刊行した本。戦後日本は、冷戦という新たな準戦時体制と高度経済成長の時代を、総力戦体制の延長線上で切り抜けてきた。重化学工業から情報サービス産業への重点シフトの中で、1970年代以降、家族の性別役割の多様化と社会的結合の弛緩、理想および夢(思想による自己実現)の時代から虚構(消費による自己実現=未来からの解放)の時代へ、都市化から郊外化(都市空間のテーマパーク化、リゾート開発を伴う)へ、対決の政治から生活の政治(シングル・イシュー主義のネットワーク型市民運動)への変容が見られると同時に、外的自然(地球環境)と内的自然(共同体や自己のリアリティ)の崩壊の危機が生じている。他方、変動相場制への移行と金融マネーの越境的な流通の中で、グローバリゼーションが顕在化し、石油危機で経済成長が終焉を迎える中、政治も福祉国家型利益配分政治から新自由主義に転換し、企業の多国籍化(三角貿易による東アジア経済圏の躍進)、国内産業の空洞化、都市の異種混淆化(エスニック・ネットワークの結節点として)、経済的・社会的不平等の構造的拡大(限界社会化?)、米軍中心の世界的軍事力への自衛隊の組み込みが顕著になった。こうした変容の中で、国民国家という統一的主体の自明性は失われつつあり、近現代史の中で構築されてきた単一の日本通史という考え方やその主体は自壊しつつある(意識面ではその反動も見られるが)、と著者は見、多数の市民的・国際的なエージェントの越境的連携に期待をかける。以上のように本書は、日本史という枠では括りきれなくなりつつある、1970年代以降の日本社会のさまざまな変化を、多くの事実やデータを挙げつつ相互に関連づけ、整理している。著者の分析の鋭さは、本書でもいかんなく発揮されており、精読に値する本である。
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[ 新書 ]
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敗者から見た関ヶ原合戦 (新書y)
・三池 純正
【洋泉社】
発売日: 2007-05
参考価格: 840 円(税込)
販売価格: 840 円(税込)
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・三池 純正
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カスタマー平均評価: 4.5
関ヶ原で家康が討たれていた可能性 大学の研究者によるものではないが、それが為に寧ろ案外に資料の少ないこの日本史を決定付けた出来事を縦横無尽に辿っていてよくまとまっている。年末には忠臣蔵だが、戦国時代ものもよくやっていて私のこれまでのテレビ番組による見聞(笑)は本書によって整理され跡付けられることになった。書名からは西軍の将三成の視点から書かれていることは一目瞭然だが、そうとも限らない。最新の研究成果に基づいた論証、検証を整理してこの数時間のうちに決してしまう合戦の背景と実状を描ききっている。
それにしても、埒外にみれば、三成が知略に長けた名将であるにしても関ヶ原での勝利後に天下の安寧を混乱無く捌けただろうという保証はない。所詮、器が違うということはどうしたって言える。応仁の乱から下剋上の混沌を経て、信長、秀吉と来た時点で、世の中は町奉行のような官僚人を仰ごうとはさらさら思っていない、文武両道の総合が必須であったにしてもどちらかと言えば武の方に若干脚を傾けた総合的な天下人を欲していたし客観的にも要請されていたことでそれは避けられなかった。逆に武田信玄や伊達政宗が大坂や江戸に入って号令していれば、別の時代であり得ただろうか、という想像もそうそう容易なことではない。光秀や三成が後世単に不届きな悪者に仕立てられたことからは歴史学者や歴史を視る者は自由でなければならないし、光秀に三成に天下に関わる次の時代を画する勝機が実際にはあったことも本書のように今後とも検証する必要はあろう。
冷静で合理的な視点の関ヶ原論 いわゆる講談調の歴史物語に流されずに、合理的な視点から
実地調査も含めて関ヶ原の合戦という壮大な史実を検証した力作である。
個人的には小早川秀秋と北政所の政治的な立場についての著者の説が
感情論に流されずシビアで面白かった。
他の戦国時代を取り上げた新書のたぐいと比べて、ずば抜けて面白い。
この著者には、是非「大坂の役」についても書いてもらいたいと思う。
星3つくらいでいいのではないか、と思ったんですけど… 絶賛されてますねえ。
うん、分からないではないです。
でも、ちょいと辛口に思ったことを書かせていただきます。
正直、冗長な一冊です。
正味まともに書けば10ページで終わるネタ一つで、延々と引っ張った本、
それがこの本の実際と思います。
勿論、それは過度に責められるべき事ではないと思います。
ある程度の長さの本を一冊上梓するというのは大変なことでしょう。
全体に新しい話を織り込むことなど、そうそう出来るはずもありません。
メインのネタそのものがしっかりしていれば、立派なものでしょう。
そして、このネタはなかなかしっかりしています。
でも、やはりそのほかの部分が余りにも当たり前すぎるのですよ。
どこかで聞いたことのある話ばかり。
ワイドショーなんかで感じませんか?
「我々は驚くべきモノを見た!詳細はCMのあと」とか言われて、
CMが終わって待てど暮らせど、「驚くべきモノ」が出てこない。
疲れ切ったころに、どうしょもないネタが出てくる…あの徒労感。
実はこの本にはそれに似たところが無いではないのです。
とにかく、引っ張りすぎです。
ネタは良いのだから、もっと直球勝負ではじめから展開していればいいのにな、
本当にそう思います。
ところが引っ張りすぎてしまっており、かつ、
伏線のつもりか、随所で結局ネタバレしてしまっているので、
やっと最後で出てきた「良いネタ」も、「おいおいおいおい」という感じなのです。
構成をもう一度考えて書き直すことが出来れば良かったのにね、
でも、それを親身にやってくれるのが編集者だよなあ、
良い編集者に恵まれなかったんですね…残念…
そんな感じです。
辛口で申し訳ありませんが、やはり何事も過剰な期待は禁物かもしれません。
関ヶ原の戦は良いの1冊 内容はそうです:
戦前から戦後の処置を講じます
実は「合戦上手」だつた三成
秀吉の家康包囲網、反石田陣営
上杉征伐、島津家、毛利、豊臣の動向
西軍の防御の施設、小早川の動靜と三成の作戦
三成を「大惡人」に仕立てた家康の本心
地図/写真十餘枚...etc
この本を礎に、信用の置ける作家に歴史小説を書いて欲しいと頼みたいくらいだ 『通説』は、あくまで『通説』
『事実』ではない
それをこの本は物語っている
読んで最初に感心させられたのは、視点は石田三成であろうとも、他に出て来るどの武将も雑言では書かれていないこと
西軍を視点に置けば加藤清正、福島正則、徳川家康が『悪役』に回るのは必定で、東軍に視点を置けば石田三成が『全ての元凶』にされてしまう
それは史書であろうと歴史物語であろうと、今までその図式が成り立っていた
直江兼続を題材にした小説の多くで、三成は『背の小さい武将(平均身長を満たしていながら、三成はこのような扱いを受けている)で横柄者だが兼続にはややへつらった態度を示す友好的な人物』とされる
実際、三成と兼続の間には友情にも似た感情はあっただろうが、それは決して「イコール友人とは言い切れない」と言う証拠がしっかりと書かれていたのが嬉しい
通説では三成と兼続は友達同士だったとされてはいても、事実はそれとは違うことを、どれだけの人間が知っているのだろうか
この本には数え切れないほどの『ネタバレ』が散りばめられている
そしてわたしは、この本を探し求めていたのだと今も思っている
購入して4ヶ月近くになるが、これほど秀逸な書籍には未だ出逢っていない
個人的感情は、一切取り入れていない
私見もない
全て著者が数多くの文献を紐解き、現地に行って検証したものである
関ヶ原はもちろん、彦根、石田町(三成の生家跡)に何度も足を運んだのだそうだ
時間を掛け、じっくりと構築された内容には、ただただ感心させられるばかり
三成ファンはもちろん、アンチ三成ファンにも読んでもらいたい
決して分厚くはない書籍だが、三成の生き様が鮮明に浮かび上がる素晴らしい本だと信じている
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[ 文庫 ]
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ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) 新潮文庫
・塩野 七生
【新潮社】
発売日: 2002-06
参考価格: 420 円(税込)
販売価格: 420 円(税込)
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・塩野 七生
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カスタマー平均評価: 5
政治の季節への布石 第二次ポエニ戦役後半?第三次ポエニ戦役までを描いた下巻。
紀元前205年?146年までの出来事。
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騎馬隊を上手に使うことにより、
ローマと戦い続けたハンニバル。
そのハンニバルの戦い方を学び、
自らのものとしたスキピオ。
両雄並び立ち。
スキピオが勝者となり、
終わったポエニ戦役。
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騎馬隊を有効に使うことにより、百戦錬磨の
軍隊を構成したローマ。
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戦いに勝っても、
自治権までは奪わなかったローマだけれど。
マケドニア、カルタゴに講和条件を
破られることで。
再度の戦争をせざるを得なくなり。
『穏やかな』帝国主義から帝国主義へと
推移していくローマ。
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マケドニア、カルタゴに勝利したことで。
イタリア半島だけに収まっていたローマは。
スペイン、北アフリカ、ギリシャまでを
ローマ連合、属州に含めていく。
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拡大した戦線はコントロールするのが
難しくなってくる。
いろいろな民族を吸収することで
覇権を広げてきたローマだけれど。
システムに陰りが見えてくる。
悪と正義、ではなく、勝者と敗者という
力が全ての単純な価値観が維持できなくなる。
善悪という価値観が
ローマのシステムに頭を擡げてくる。
きっと、次にやってくるのは政治の季節なのだろう。
5★「我々はあなた方と闘ってきた」?カルタゴと湾岸戦争 本書はカビくさい古典ではなく、現代にも通ずるヒントの宝庫だ。
例えば、西洋人が考える「国際貢献」とは?124p180pによると、
ローマの「クリエンテス=同盟国」となったカルタゴとヌミディア。
ローマ人は決して両国を同列に扱わなかったそうだ。なぜか?
ヌミディアはローマ軍に兵力提供したのに、対して、
カルタゴは、小麦を供給するだけだったからだ。
カルタゴの使節は「我々はあなた方と闘ってきた」と主張するが、
元老院では嘲笑の的になる。『血も流さずにいて何を言う!』
このシーンを読むと、1991年の湾岸戦争を思い出す。
日本は多国籍軍に対し、一兆円を超える、130億ドルを拠出した。
戦後クウェートは、NYタイムズ広告で30カ国に対し感謝表明した。
しかし、その中に、Japan の文字はなかった。国辱だった。
日本の平和憲法は、西洋の常識に対し理論武装できているだろうか?
ちなみに5.15事件「話せばわかる」といって犬養毅さんは、射殺されました。
PS●他にも、114pマケドニア王のローマ評は必読だ。
このシリーズ、文庫版10冊くらい読んだが、ハンニバル編の5巻が
一番おもしろかった。友情・夫の義務・権力争い・英雄の熱弁…数々のドラマ見所アリ。
カルタゴの滅亡 依然としてイタリアにとどまるハンニバルをイタリアから追い出すために、スキピオはカルタゴの本拠を襲う。スペインを平定したスキピオ・アフリカヌスの進撃に恐れをなしたカルタゴはハンニバルに帰国を命じる。ハンニバル戦記と言われる第二次ポエニ戦役も、ザマの会戦をもって終わる。
本巻は、ローマ人による第二次ポエニ戦役の戦後処理と、その後に生じたギリシアの混乱、マケドニアとカルタゴの滅亡までが描かれている。
燃え盛るカルタゴを見つめながらスキピオ・エミリアヌスが言った「だが、この今、わたしの胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかわがローマも、これと同じときを迎えるであろうというという哀感なのだ」という言葉は、とても示唆的で胸に染みていった。
歴史上稀な天才同士のぶつかり合い ハンニバル対スキピオ まさに名将同士のゾクゾクする対決。
イタリア国内でローマにも迫る勢いであったハンニバルであったが、戦闘だけでは一国を倒すのは難しいと感じさせられる。現代でも同じだが戦争と政治力はワンセットでハンニバルが犯したミスは政治的なかけひきだったか・・・。
また、歴史的にみてもローマの地中海制覇を早めたのが逆にハンニバルがローマを脅かしたが故だというのも皮肉であり歴史の妙味を感じさせてくれる。
戦争物語だけに本書が収まらないところはハンニバル戦役後の50年も経ってのカルタゴの抹殺を疑問視したり格名将の指揮振りを描いてあったりといった想像力と検証力でしょう。
ん?面白い
苦い勝利の味 ハンニバルとスキピオという 二人の天才が ポエニ戦役という舞台で最後にどのように振舞ったかを本巻は物語る。
史実として言うなら スキピオはハンニバルに完勝し ハンニバルはスキピオに完敗した。勝者と敗者がいる風景だ。但し この二人が 大きな歴史の流れの中に消えていく様も良く見えてくる。特に 勝者であったスキピオが ローマ帝国の内部のパワーゲームの中で不遇に死んでいく場面は印象的だ。ハンニバルの方が 自分の資質に忠実に生き、そして没落していった様に 幾分かの爽快感を含ませた塩野にして スキピオとの「距離感」が微妙にあると感じた。
本巻で 最後にカルタゴとマケドニアがローマに滅ぼされていく様が語られる。それは 必ずしも「ローマの勝利」を意味しているのではないと 塩野は言っているような気がする。
相手を滅亡させなくてはならないローマとは それまでの「敵を見方として飲み込む」というローマの哲学の「破産」も意味しているかもしれないからだ。
ローマとの「旅」は まだこれからだ。
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[ 文庫 ]
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ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)
・マハトマ ガンジー
【中央公論新社】
発売日: 2004-02
参考価格: 1,450 円(税込)
販売価格: 1,450 円(税込)
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・マハトマ ガンジー
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カスタマー平均評価: 4.5
いまに生きる思想と実践
じぶんの生き方を振り返りながら、読みました。
2009年。経済と世界が混迷するなかで、
いままでのじぶんの仕事のしかたや生き方が、
壁にぶつかっている気がする。通用しにくくなっている
気がする。生きにくく感じてしまう。
そんな気持ちで読みました。
この偉大な人、ガンジーの生き方は、
じぶんが感じている困難さよりも、何十倍何百倍も
困難ななかで、理想を見失うことなく歩きつづけ、
ほんとうに多くの人々に影響を与えつづけたんですね。
じぶんもこういうふうに生きる努力をすれば、
もっとじぶんにまっすぐに、もっと生きやすくなるのかも
しれないと感じる記述がたくさんありました。
たとえば、菜食主義の実践。
肉や魚ばかりでなく、豆類も塩さえも摂ることを
ひかえた。それでも人間は生きてゆける。
たとえば、欲望の抑制。
欲望をおさえる生き方を身につけると、
人と争うことなく生きていける。
ガンジーというと、行進を通して、人を導いた人
という印象がありましたが。もともと弁護士であって、
法律の知識を力に行政府と闘いつづけた場面が
多かったことも初めて知りました。
思想を学びつつ、実験、実践をくりかえして
ガンジーの生き方は形成されていったことが
よくわかりました。
困難な時代にあればこそ、
思想と実践のくりかえしがとても大切と
感じた一冊です。
最高の自伝のひとつ まず、ガンジーというと、インド綿をまとって、非暴力を提唱したというイメージがありますが、彼が英国紳士のいでたちをしていたこと(11章)、初期の活動のうち17年は南アフリカであったこと(第三部)など、意外に知られていないことが多くで驚きます。 特に、第三部と四部の南アフリカでの経験は、いかに彼が、後に知られる、無抵抗、非不服従と、質素な生活の思想を培っていったかがわかって興味深いです。ヒンズーを土台とした彼がいかにキリストとイスラムの思想に触れていったかもわかります。
この本は読んでそのまま教訓を得るというよりは、さまざまな課題を考えるきっかけとなる本だと思います。 非殺生を唱えながら、英国の徴兵に応じて、民衆から強烈に突っ込まれるところ(75章)、 非不服従を唱える民衆がただの、暴徒化するところ(73章)、徹底的な菜食を通して死にそうになるところ(76章)など、現実に安易な解答というのはないってことを考えさせられます。 特に栄養学に関するくだりは、私にはかなり受け入れがたいところが多かったです。
それにもかかわらず、全編を通じて、自分と考えを異にする相手と、議論はするが、思いやりと尊敬を必ず示し、侮辱や挑発にけっして仕返しをしないところなど、今の社会問題の解決のヒントになることが多いと思いました。
余談ですが、他に私が好きな自伝に、福沢諭吉とベンジャミンフランクリン(共に岩波文庫)がありますが、彼らとガンジーに共通しているのは、若いときに新聞の発行とコラムの執筆にかかわったってところで、そういった経験が彼らの思想と文筆力を養ったのだろうかと興味深く思いました。
真実の大切さ ガンジーの生涯?1869年?1948年?におけるインドの状況にあまり知識を持っていなかったため、通読後訳注を見ながら詳しく読んだ。
その知識を持っている方が、よりガンジーの思想の変遷を理解できると思う。
たとえば、
・東インド会社設立後、1857年のインド大反乱後1947年までイギリスに支配されていたこと、
・カースト(身分)制が布かれていて、ブラフマナ(聖職者)、クシャトリア(武士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(手工業者)の4つに分かれていたこと、
・日本の方言以上に複雑な多くの言語があること、など。
学校で習ったに違いないが、思い出しながら読むと理解が深まった。
この本を読むと、ガンジーがインド、イギリス、南アフリカを往復して様々な人とふれあい、
弁護士を出発点として、どのように政治活動に関わっていき、非暴力運動を展開させていったかがわかる。
南アフリカでの人種差別運動によるインド人の抑圧やイギリス支配からの脱却を目指して、
自給自足を旨とした農園を作り、サッティヤーグラハ(真実の力)運動を起こしたのである。
その運動のためにどれだけ投獄されたかと思うと、驚きであった。
真実を貫くこと、それには精神の涵養が必要であり、その手段として肉体的な涵養も必要になってくることに、共感を持った。
ただ、これだけ自由があふれた日本において、当時は菜食主義や禁欲主義で実践していたものをどのように実践するかは考えさせられる。
読み終わって思うのは、ガンジーの思想は、ガンジーにとって至極当たり前だったのではないか、ということ。
なぜなら、文章が淡々としていていかにも考えの赴くままに行動していたと感ぜられるからだ。
本書には、なにか奇抜なことやわくわくさせられることはあまりないが、いろいろと考えさせられるものが詰まっていると思う。
真実の人・ガンジーの半生 ガンジーの生き様が本人により述べられた本です。政治的に有名な“塩の行進”をはじめとする歴史は述べられていません。英語版にはない丁寧な訳注が理解を助けます。また、短い章で分けられ、写真や地図も豊富で大変読みやすくなっています。ガンジー自らが書いた“はしがき”に、この本全体の思想が凝縮されています。曰く、“私は神を真実としてのみ礼拝する。私はまだ神を発見するにいたっていないし、また、今も捜し求めている。、、、およそ真実の探求者は、塵芥より控え目でなくてはならない。、、、私は読者の前に、私の欠点や過ちをことごとくさらけ出してみたいと思う。、、、私自身を判断するに当たって、できるだけきびしく誠実であることに努めよう。そのような規準に立って私自身を測定しながら、私は叫ばなくてならない。”
我のごとく小賢しく Where is there a wretch
いやしき者ありや So wicked and loathsome as I?
造り主を見捨てたる我 I have forsaken my Maker,
我はかく 不信の徒なり So faithless have I been.
本文では、まさにマハトマ・偉大な尊者と言われるにふさわしい半生が語られています。ヒンズー教徒でありながら、キリスト教・イスラム教に対する理解を示し既成宗教の枠を超えて真実に関する実験を生涯に渡って貫ぬいた姿勢は感動的です。この本のはしがきと本文を読んだ読者の中の一体どれだけの人物が、自らを神(=絶対の真実)を知っている真の信者であると言えるでしょうか。
宗教的に完成された高僧のような人物にリーダーとして学ぶことは多い 自分の信念に忠実で、権力や金を身につけるどころか、どんどん捨て去っていくその生き方、そしてどんなときにも心を澄みやかにし、他人の罪を許す態度は、まさしく、高僧のようである。特に誰かの弟子になったというわけでもなく、何かのときに悟ったわけでもない。
これだけの人物だから大勢の人をひきつけるのだろう。政治的テクニックや人脈の前にリーダーとしての人物として見習いたい人のある意味頂点にいる人ではないか。
自伝の書き方もガンジーの人柄がでている。細かいことも大きな事件も同じような口調で書かれているのでじっくりととりかからなければ、十分読みこなせない内容だ。
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[ 文庫 ]
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英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本 (講談社学術文庫)
・ハーバート・G. ポンティング
【講談社】
発売日: 2005-05
参考価格: 1,155 円(税込)
販売価格: 1,155 円(税込)
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・ハーバート・G. ポンティング ・Herbert George Ponting
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カスタマー平均評価: 4.5
日本の伝統文化が色濃く残っていた当時の模様。 写真家ということもあり、たくさんの写真が掲載されています。
当時の日本人がいかに寛容で、すばらしい人柄であったのかが分かります。
文章だけでは当時を思い描けない人におススメです!
今の日本に無い『もの』をこの本で垣間見るかもしれません。
この世の楽園・日本 この本の原著の題名は 『 In Lotus Land Japan この世の楽園・日本 』 です。
題名からも如何に日本に好意的な本であるかが想像できます。
また、この本は 『 著名写真家が書いた日本紹介の本 』 とでもいうような内容です。数多くの、いかにも日本的な写真が掲載されていて、なんともくよ気持ちよく読み進められる本です。
文章も、非常に優れたものです。これは作者が優れているのか? 翻訳者が優れているのか?
今から100年前というと、白人の書いたものには有色人種に対する無理解や、蔑視が相当入ってくるものですが、この本にはそれらが見られません。
100年前の日本の姿がも写真とともに生き生きとよみがえります。
あえて欠点を言うと、日本人にとっては既に知っていることも少なからず出てきますから、多少退屈するところもあるかもしれません。
小冊子でもあり、章ごとに独立しているので、ちょっとした息抜きの時に、章ごとに読めば、気分転換とともに、楽しく、気持ちよく読み進められると思います。
非常に優れた学者と翻訳者 残念ながら、最近長岡祥三氏は82歳でこの世を去ったので、再出版以外はこれは彼の最後の本になる。(再出版としては、2008年9月 アーネスト・サトウ公使日記 1 コンパクト版―明治28年7月28日明治30年12月31日 (1)とアーネスト・サトウ公使日記 2 コンパクト版―明治31年1月1日明治33年5月4日 (2) は出版された。)十年間以上本人との付き合いに恵まれた私にとって、このポンティングについての本はこれほど好評であるのは大変喜ばしいことである。長岡氏の学問のある文芸作品は日英関係の翻訳はほとんどで、(おそらく彼の狙い通り)日本人の間英国に対しての理解、知識と友情を深めることができたのではないかと思う。
一回「長岡さんは単なる翻訳家」というコメントを第三者から聞いたことがある。この意見は変な考えに基づいていると思う。翻訳という仕事は素晴らしい使命であって、特にこんな立派な本の場合は永久に日英文化交流に貢献するし、その学問を高く評価したい。イギリスでもHerbert George Pontingはあまり知られていないが、世界のトップの写真家の一人であったは南極と日本の写真が鮮明に且つ美しく証明している。尚、2009年3月はPontingの南極の写真はケンブリッジ大学のScott Polar Research Instituteにネット上に公表される予定。
この本の他に、長岡氏は下記の翻訳も見事に書いた:ミットフォード日本日記―英国貴族の見た明治 (講談社学術文庫)、アーネスト・サトウの生涯―その日記と手紙より (東西交流叢書) (関口氏と共作、著者が小生)など。(全書のリストを見るには、ページの一番上の本のタイトルの下の「長岡祥三」をクリックしてください。)
日本はほとんど変わっていない! なにしろ写真が驚きます、それは当然写真家の本ですからね。この本を見る事による(文章を読むより写真に見入る時間の方が長い/写真がもっと大きかったらと真に思います)最大の知的刺激は、明治時代あるいはかなり残滓を残している江戸時代に対する自分の認識の誤りについてです。写真が鮮明なのも驚きですが、そこに写されている日本庭園や散策する人々、今でもたくさんの人が訪れる東本願寺や伏見稲荷などの神社仏閣が、現在とほとんど変わらない。石垣、鳥居、坊さん、建物、そして初老の占い師、そのへんで見かける頑固じじいそのもの。顔の表情が変わらない、顔の造りが変わらない、眼が変わらない。我々は、江戸時代や明治初期は、日本がまだ前近代の時代で、その頃の日本人は今の日本人とは全く異なった”人種”だったと考えている人が多いのではないでしょうか。しかしこの本に掲載されている多くの写真を見ると、何だ日本は明治時代とほとんど変わってないじゃないか、ということは江戸時代ともそうは変わっていない、と感嘆及び驚嘆するのです。日本は変わった環境も多いが、当時そのままの環境もそうとう多く残っていて、最も変わらないところが残されているのは、日本人の心の奥底ではないでしょうか。それは写っている人々の眼や表情から窺い知ることができます。また銅の象嵌や七宝、焼き物、様々の工芸品(その頃はまだ芸術品とは呼ばれていなかった)の当時の日本の職人の技術の高さについての記述も相当な刺激でした。写真をどうぞ、日本に対する認識が変わります。
100年前の日本の歩き方 100年前の日本ツアーガイドに相当する。著者の描く日本は、美化されてるところが多々あり読んでいてすこし恥ずかしくなる。
取り上げられる場所は、京都、阿蘇や浅間山、富士山や富士五湖など今でもポピュラーな観光地が多いから、
これらにいく前に読んでみると旅情が盛り上がっていい感じだ。
写真はさすがにプロフェッショナル、木の幹の質感や解像感もよく出ている。
鹿苑寺の陸舟の松については、今の現物を見るよりポンティングの写真のほうが良いと思った。
写真のいくつかが、構図や表情が微妙に「演出された」感じがする。
この微妙な演出は当時のイギリス人にはきっとわかりやすいのだろうが、
当時の日本人のありのままではないだろう。
イギリス人たちに戦略的パートナー日本に好意を持たせるプロパガンダの臭いが端々にある。
著者が「こんなことでロシアとの戦争に勝てるのか?」的な啖呵を、
日本人にぶった記述があるが、意外とこれが本音なのでは?
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[ 文庫 ]
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イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
・イザベラ バード
【講談社】
発売日: 2008-04-10
参考価格: 1,575 円(税込)
販売価格: 1,575 円(税込)
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・イザベラ バード ・Isabella L. Bird
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カスタマー平均評価: 5
前人未踏の内陸旅行には赤裸々な驚きと好悪の反応が満ち溢れていた! 明治十一年(1878年)、新政府の要人=大久保利通が暗殺された直後の五月に、英国人女性旅行家イザベラ・バードが来日した。彼女は日本人従者(兼通訳)を雇い入れ、粕壁?日光?鬼怒川?会津若松?新潟?山形?秋田?青森?函館(蝦夷)という日本縦走の大冒険旅行を敢行する。
ピエール・ロチによる日光参詣に先立つこと七年前。西洋人女性初の日本内陸部走破が成就されたとは驚きだ!七つの海を征服した大英帝国のジョン・ブル魂は女性にも宿るのか?おまけに、3か月超の長旅を終えて帰京したイザベラは、秋には京都?伊勢神宮?大津琵琶湖まで畿内を巡り廻っているのだ。す、凄すぎる…。
騒音と悪臭、無遠慮な視線、蚤と蚊の来襲、大雨による増水に悩まされつつ、簡易ベッド持参の旅上で著者イザベラは故国の妹宛に手紙を認め続ける。手紙ベースの旅行記の全訳が出たお蔭で、百三十年後の日本人たる私が一読者として彼女の大冒険旅行を追体験できて非常に幸運に思える。
幸運といえば、イザベラ自身も幸運に恵まれた。一昔前の幕末期であったら異人嫌いの狂信的なサムライからどんな危難を受けたか判らない。そもそも封建領地内を異国人が自由に旅行できた筈が無い。ご維新による中央集権国家の成立が、彼女の大冒険旅行を実現させる基盤となった。
また、滞在歴の長い英国公使ハリー・パークスやヘボン(ヘプバーン)博士など日本通の先人は、具体的な旅情報に繋がらなくとも、日本とは如何なる伝統国家であり日本人はどんな東洋民族なのか、イザベラにとって貴重な忠告と助言、支援協力を与えた。
鋭い観察眼で日本の印象を綴った記述には、旅行見聞への赤裸々な驚きと好悪の反応に満ちている。侘しい宿屋での食事に閉口しつつも、葬式や結婚式に顔を出したり、いろはガルタに打ち興じる子供たちにお菓子をあげるなど村々で素朴な交流を続ける。とりわけ、蝦夷地に暮らすアイヌ人たちの生活ぶりを目の当たりにしたイザベラの記録は、貴重な文化習俗資料になっている。
縦と横に広がる バードが滞在した場所に、実際自分も住んでいたことがあったり、バードが見た同じ建物を時間を超えて自分も目にしたりしていて、不思議な感覚に陥りながら読みました。当時の不衛生な暮らしぶりや、病気の蔓延状況にバードのげんなりする様子が目に浮かぶようでしたが、蚤が飛びまわる布団とか、バードについてまわるやじうまとか、宿屋でどんちゃん騒ぎする人々の様子には、思わず笑ってしまいました。
紀行文って場所と時間の両方を伝えるものなんだなって、この本を読んで改めて感じました。
客観的な視点で描かれた良書 イザベラ・バードは明治時代の旅行家で、当時はまだ海外に知られていなかった地域を旅行した方です。本書は、ほとんど知られていなかった東北、北海道を旅した時に記した手紙を収録しています。彼女にとって、「未開」だった地を歩むこと自体、すごく勇敢な方だと思います。
文章を読んで好感を持てたのは、先入観を持たず客観的な目線で描かれている点です。そのため、明治時代の日本の様子を抵抗感なく理解することができます。
また、当時の日本人の考えが現在でも生きている部分もあるように感じた箇所もあり感心しました。例えば、知識人層の宗教観は現代の日本人の宗教観(無宗教であることがよいとする考え)に引き継がれていますね。それ以外にも興味を引く部分が多くあるので、おすすめです。
完全版にして、この読みやすさ 普及版を訳した「日本奥地紀行」も面白かったが、
それに比べて、とにかく読みやすい。
「奥地紀行」の何倍ものページ数だが、
苦も無く読み進めることができた。
訳者のセンスが伺える熟慮された訳。
普及版にはない部分として、日本の文化・風俗について
多大なページを割き、詳細な描写をしている。
あらためて、イザベラ・バードという人の
人並み外れた情熱・探究心に乾杯。
『日本奥地紀行』の完全版。下巻の早期刊行が望まれる。 明治11年の夏(6月?9月)に東京から日光を経て新潟へ抜け、山形、秋田、青森を通り北海道へと旅をしたイギリス人女性による日本奥地の見聞録。平凡社から出ていた『日本奥地紀行』は初版からいくつかの箇所が省略された1885年の普及版の翻訳でしたが、こちらは省略前の1880年初版の翻訳です。
まだ江戸時代の生活が残る明治初期の日本の田舎の原風景や人びとの素朴な生活が、険しい山道や粗末な食べ物、蚤や蚊に悩まされる旅の苦労とともに、外国人の新鮮な目を通して生き生きと描かれています。
上巻では函館到着までの部分が収録されていますが、それ以降の北海道アイヌ人たちの生活を描いた部分は下巻に回されていますので、早期に発行してほしいものです(できれば上下巻同時発行してほしかった)。
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[ 文庫 ]
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イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
・イザベラ・バード
【講談社】
発売日: 2008-06-10
参考価格: 1,313 円(税込)
販売価格: 1,313 円(税込)
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・イザベラ・バード
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カスタマー平均評価: 5
著者の<何でも見てやろう精神>の表れと言える作品 馬の背中から前のめりにズリ落ちたり、木の枝に引っ掛けられて放り出されたり、何度も間抜けで痛い危ない目に遭いながらも、著者イザベラには自分自身を客観的に描写できる才能とユーモア感覚があったようだ。
上巻の東日本縦断旅行に次いで、下巻では蝦夷旅行と畿内旅行の様子が詳述される。原題”UNBEATEN TRACKS IN JAPAN”に付された副題の、とりわけ“INCLUDING VISITS TO THE ABORIGINES OF YEZO AND THE SHRINES OF NIKKO AND ISE”が活きて来る。
身体つきは猛々しいアイヌ人男性が、「しゃべりはじめるととたんにその顔はまるで女性のようにやさしい笑顔に変わり」「表情は誠実で感傷的で、微笑むと――たとえばわたしがアイヌ語の発音がうまくできないとき――、その顔には心の琴線に触れる本当に美しいやさしさが表れます。」と著者は証言する。
「北日本に比べ、こちら(伊勢)はたいへん贅沢な地方で、蚤や蚊は死んでいるか冬眠中で、不満は本当にほとんどありません。」「火鉢を抱いてすごしてばかりいます。」 イザベラが畿内を巡る頃には季節は晩秋11月に入っていたのだ。つくづく元気な英国人のオバサンである。
京都宇治を経由して「霧にかすんでいても美しい都」奈良を訪れた記述からは、当時(明治11年)既に「聖なる鹿」が人間に「せんべい」をねだっていたことが判る。一幅の墨絵を感じさせる長谷寺探訪や神道の聖域である伊勢神宮を参拝した記述からは、巡礼の荘厳さと感激の余韻が漂って来る。
「(旅行中)一度のゆすりや無礼な行為や難事にも遭わないばかりか、どこにおいても丁重で親切な扱いを受けたこと」を感謝を籠めて手紙に書き記したイザベラの、最後の訪問先が東京郊外の火葬場だった事実に<何でも見てやろう精神>の表れが感じ取れて、百三十年後の今でも興味が尽きない。
水晶から見える明治日本、そして現代の日本 紀行文に描かれる文章の善し悪しは、著者が見た情景が読者のイメージにいかに反映されるかにあると思う。その意味では、イザベラ・バードの紀行文は、あたかも純粋な水晶玉に映し出されるかのように鮮明に描かれている。
ただそれは、完全に客観公正という意味ではない。いくつかの箇所で、差別とも取り得る表現が見受けられるのは事実だ。しかし、これらは凝り固まった偏見によるものではなく、彼女自身の無垢な探求心が映し出したときに表れた表現であり、それゆえ反感を呼び出すことではない。無知による行き過ぎた表現は現代でも起こるものである。
彼女の探求心から生じる分析力は、時として読者の目を覚まさせる表現を生み出す。私はこの一文に現代の日本に通じる問題点を見抜いていたのではないかと、思わせる文章があった。
「頭脳の教育と活性化が人の特性とはほとんど関係なく行われている店、人間性のゆがみや矮小化が必ず起きるにちがいない点は要注意である。」
純粋な視点から思いがけない指摘を受けることがあることを想起させることに気づかされた。
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[ 文庫 ]
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大阪「駅名」の謎-日本のルーツが見えてくる (祥伝社黄金文庫)
・谷川 彰英
【祥伝社】
発売日: 2009-04-13
参考価格: 600 円(税込)
販売価格: 600 円(税込)
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・谷川 彰英
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カスタマー平均評価: 2.5
期待していたのに、残念! 筆者は「地名研究の権威」を自認しておられるのかも知れないが、地名由来の考察は、何も専門学者にだけ許された特権ではなく、誰にだって、自分の住む土地、こだわりのある土地の地名を自由に推論し、想像力を膨らませるだけの自由はある。なのに、記紀的な文献的背景からしか地名由来を認めようとしない筆者の姿勢は、学者にありがちな居丈高そのもの。地名に対する関心を喚起するどころか、むしろ、「こういうガチガチがいるから、地名の世界になど近づきたくない」とさえ思わせてしまう。この筆者の『京都 地名の由来を歩く』などは好著なのに、本書は大阪の読者層を少し軽んじているようで、不愉快さすら覚える。期待して手にしたのに、残念である。
出版を急ぎすぎたのでは? TVの深夜番組での「針中野」駅の紹介に興味を持って購入したが、はっきり言って中途半端である。期待に反して多くが「記紀」の引用からの歴史的な由来を語っていて退屈であり、京阪線の門真駅の記述のように長年沿線に住んでいた者には、首をかしげたくなる部分も少なくない。歴史本にしたいのか雑学本にしたいのかが明確ではなく、TV番組が話題になったので出版を急ぎすぎたように思える。「大阪をあまり知らない」と少し言い訳がましい筆者は「大阪は京都・奈良より歴史が古い」と持ち上げるが、歴史を大切にしないのがまた大阪人である。
大阪はメッチャ、古いのだ 大阪出身者とか大阪在住者にとっても、その沿線に住んでいない者にとっては難しい読み方の駅名の由来がふんだんに盛り込まれている。大阪の地名は複数の地名・駅名を単純に合体させて、両者の土地の面子を保つケースが多い。喜連と瓜破を単純に併せて「喜連瓜破駅」としたり、西中島と南方を合わせて「西中島南方駅」とするように。東京の地名は複数の土地から一字ずつパクッてきて、新しい地名・駅名とするケースが多いらしい。国分寺と立川から一字ずつ取ってきて「国立」、なんですって!「堺」というのも、大阪の古い3つの国、和泉・摂津・河内の「境(さかい)」にあるからこのように名づけられたなんて「言葉遊び」的で、これまたなかなかいい。
この書き下ろし文庫は、大阪・朝日放送の深夜のアホ番組「ハイヒールのビバップ・ハイ・スクール」から生まれた。関西出身のお笑い系・アホ代表が、カシコ代表の筆者から大阪の駅名の由来についてのお話を面白おかしく拝聴するっていう番組だが、所詮、アホ相手の番組だけに内容の浅薄さは否めない。
谷川センセ自身が長野出身で、大阪のことはここ数年興味を持ったばかりで、まだまだ大阪のことはご存知でない部分が多いということは、本書を読めばよくわかる。百済に言及するなら駅名の百済まで書いてほしきあった。「中途半端やん!」っていう箇所が結構多いのだ。駅名・地名に東・西・南・北を付けないのが大阪の特徴のように言うが、東大阪とか東花園とか、このあたりは何故か無視している。「まだまだ、わからない」とか「これからの研究課題だ!」なんて逃げの姿勢も何ヶ所かある。そのくせ、若一光司の著書にクレームをつけているだ。これは、見苦しい。
塩ジイが解説を書いているのもしらける!
「きのう、鼻毛を抜いてのう」なんちゃって。
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[ 新書 ]
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ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書)
・岩田 靖夫
【岩波書店】
発売日: 2003-07-19
参考価格: 819 円(税込)
販売価格: 819 円(税込)
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・岩田 靖夫
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カスタマー平均評価: 4.5
格調高い思想史の入門書 著者の岩田靖夫氏は、古代ギリシャ哲学とヨーロッパ実存哲学を中心とする翻訳、研究において膨大な業績を残してきた。2003年には文化功労賞を受賞している。本書はジュニア向けとはいえ、碩学のきたえぬかれた文章力と、テキストから本質をつかみだす洞察力によって、一流の啓蒙書に仕上げられている。
最近はどの学問分野でも研究対象がますます細分化していく傾向にあり、過去の長い歴史を俯瞰する通史的な試みは少なくなっているから、このように古代ギリシャから近現代までをカバーした思想史の本は貴重である。しかも、歴史の上澄みだけをすくいあげた類の、つまらない教科書とは大きくちがう。長い歴史を通して、人間の思考という種がいかにして大きな木に成長していったかを描く、格調高い物語であると言える。
著者は、まず最初に「ヨーロッパ思想の源流はギシリア哲学とヘブライ宗教にある」と喝破したうえで、その二大潮流にそれぞれ一章ずつを充てて解説し、最終章でそれらが近現代の思想にいかに影を落としたかを解説する。こうして俯瞰を見せられると、なるほどヨーロッパの思想は人間と世界の関係についての問い、そして人間と神の関係についての問いという二つの極をめぐって展開してきたということが、克明に理解できる。
哲学や宗教に少しでも興味をもっている人なら、本書から多くの教示を受けるはずである。
ちょっと難しい 岩波ジュニア新書は高校生向けの平易な内容の新書だそうですが、
これはどうみても大人向けです。
2003年以降の高校生には敷居が高いのでは…?
昔の高校生はこの程度の本は読めていたのでしょうか。
「カテゴリーとは、述語として語られる存在の様々な意味を言う」
↑こういう文が当たり前のように出てきます。
ギリシアの思想とヘブライの宗教の入門書としては良い本 一番簡単な思想入門は高校の倫理の教科書だと思いますがそれと併読するのにちょうど良い感じです。古代ギリシアを専門になさっている方だけあって古代史の部分は随分わかりやすいです。構成が独特で、三部構成となっており、一部がギリシア思想、第二部がヘブライ信仰、第三部がその他。ページの量もほぼ1/3ずつなので、第三部は中世のアウグスティヌスから現代のレレヴィナスまでかなり駆け足で書かれてある印象を受けますが、その分、ジュニア新書にもかかわらず古代思想に関しては、けっこう突っ込んだ話題にも触れています。近代、現代の哲学者たちもギリシアやヘブライの思想家たちの学説をひきずっていたりするわけで、そういう意味でも特異な入門書として良い本だと思います。誤解を受けやすい哲学概念の一つであるイデアについての説明もアリストテレスの思想と比較することで、「徳の本質」「認識の成立根拠」「存在者の存在構造」という3つの視点を浮き彫りにしてわかりやすく解説しています。政治思想とのかかわりで哲学が語られることが多いので政治的な問題に興味のある高校生にも良いかも知れません。(ただし、日米関係といった具体的な話題ではなく自由や正義といった抽象的なレベルの話題ですが…)
問題点としては、ひとつは、せっかく西洋思想の源流であるギリシアやヘブライについてわかりやすく書いてあるのだから、それがデカルトなどの近代哲学にどう繋がるのかもう少し詳しくか書いてほしかった。入門書なので無理に薄くしようとしているようですが、英語圏で出版されている思想書は入門書こそぶあつく丁寧に書いてありますし、実際薄くてメモ的に書いてある本より、そっちの方が読みやすいと思うんですが…もうひとつの問題点は、ジュニア新書で出版するならば近代史のフランス革命の評価などは、いくつかの有力な説を併記するような配慮がほしかったです。ジュニア新書ということなので、高校生がこういう、良くも悪くも教科書的な本を目安にしながら、文庫化されている有名な古典を読み漁っていくのも悪くないと思います。
得るものはありますが、、、 ヨーロッパ思想がギリシャの思想とヘブライの信仰にあるということから始まります。この二つのテーマのために第一部・第二部とかなりのページが割かれていますが、内容的には実に教科書的でこじんまりとまとまってしまっているので、読んでいても面白くないです。これらの2大テーマに関しては他にいろいろと名著があるので、ここでは飛ばし読みでいいのではないでしょうか。
一方、第三部は、作者の個人的偏見も含めて、かなり良く書かれていると思います。デカルト・カント・ハイデカーなどのヨーロッパ現代思想を理解する上で不可避な哲学者達の思想をわかりやすい日本語で説明されています。書かれた内容への賛否はともかく、ヨーロッパ思想への取っ掛かりとしてはよいのではないでしょうか。
全体の評価としては、大変よくまとまっているとは思いますが、読み物としては面白くないです。やっぱり教科書ですね、これは。
ところで「ヨーロッパ思想」=「ヨーロッパ哲学」なのでしょうか?それでは、一般的なヨーロッパ人の言動に直接または間接的にリンクする思想・文化とは何なのでしょう?
古典書評は語り手を選択する 古典の書評をすることは困難な側面をもつ。古典の内容は一定のものとして固定されており、その内容を批評するとしても、その批評は他の古典によって即座に反駁されるという事態が生じるからである。従って、古典の内容の批評は結局のところ好悪を語ることになる。それに対して、まだ評価の定まっていない新作の場合にはその書の内容を批評することが可能になる。新作は書評されることによって、その書物の真価が問われ、真に内容をもったものであるかどうかが確定されるからである。だから書評というものは新作にふさわしい。古典の書評は内容紹介に終わることになる。あるいは自分の感激を語りたいときになされる。それ以外は義務からなされることが多いように思われる。この点からみると、なぜ古典に関して書評があまり書かれないかが理解される。
そこで、古典関連の書評が成立するのは、次の二つの場合に限定される場合が多いように思われる。一つは古典の新しい解釈が登場したとき。もう一つは新たな翻訳がなされたときである。
こう考えたとき、イリアスについて私は何を語ることができるか、心もとない。また、本書に関しても。
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[ 新書 ]
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まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)
・山井 教雄
【講談社】
発売日: 2005-01-19
参考価格: 777 円(税込)
販売価格: 777 円(税込)
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・山井 教雄
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カスタマー平均評価: 4.5
1時間でわかる とても良書です。紀元前から、現代まで、この問題を丁寧にわかりやすく説いています。
現代の紛争の原点を知るための入門書としておススメ 政治、宗教、民族が絡むパレスチナ問題、これをわかりやすく、平易に表現しています。日本人にとっても、パレスチナ問題・中東問題を「石油がこなくなって困る」というレベルではなく、もう少し広く知るための入門書としておススメです。
但し、二千年以上にわたるユダヤ人問題、千何百年にもわたるキリスト教とイスラム教の血みどろの争い、異教徒の奴隷化など、1冊の本には著せない根深い問題があります。また、過去にイスラム教徒とユダヤ教徒の共存社会があったことを取り上げていますが、イスラム社会ではユダヤ人は2級市民として異教徒税のような税金を課せられるなど、およそ共存とはいえない状態で、現代においてもとても簡単にはいかないように思います。
しかし、アラファトがしっかりしていれば中東和平の「歴史的好機」をとらえることができたのでは、と改めて思った次第です。
わかりやすいパレスチナ問題 新書のボリュームであるが、内容は非常に濃い。文章とマンガで書かれているので、飽きることもなく最後まで読める。それで、わかりやすい。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の歴史から説きはじめて、2度の大戦、イスラエル建国、中東戦争、オスロ合意と、歴史のポイントポイントを教えてくれる。まんがが楽しいので、10代の読者にも最適のように思う。こういう本がもっと増えてくれればいいと思う。
今回のガザ問題を見て、パレスチナ、イスラエルのことに興味をもって書店に行って、結局、この本だけを買ってきた。歴史の教科書みたいではなくて、パレスチナ地域に生きている一般人の視点で書かれているのがよかった。著者の山井さん自身が漫画家なので、ツボを押さえた作画が楽しい。情報量もとても多い。お奨めです!
入門には最適 まさに、入門書のつもりで読みました。
日本人には理解しにくい 「宗教」「人種」問題が
こんなにも長きに渡って争いの火種となっていること、
今回のガザ侵攻のように未だにその火種はくすぶっていること、
そして、欧米諸国がその原因を作り出したこと。
非常にわかりやすいです。
しかし、問題はこの本の内容のように単純ではないでしょう。
色々な歴史が複雑に絡まりあって今の問題を作りあげている
のでしょうが、パレスチナもイスラエルの成り立ちも無学であった
私には最適の入門書でした。
著書内でも「ねこ」が語っていますが、
経済が原因の戦争ならばどちらかが金がなくなれば終わる、
でも、「宗教」や民族のアイデンティティにも関わる戦争となると
「聖戦」化され自分の命を犠牲にすることも厭わなくなり
戦争が正当化されてしまう。
宗教って人を幸せにするためにあるんじゃないのでしょうか。
日本人にとって分かりにくいパレスチナ問題とその歴史を劇画調で見事に教えてくれる素晴らしい本です 現代に生きる人々にとって、人生の最後の最後までこの「パレスチナ問題」は、ニュースをにぎわせることになるであろう。そして、本当にどこのどこまで私たちははこの歴史的な本質を、(複雑に絡み合う民族・国家・宗教・時の勢力をひっくるめて)考えていくことが出来るのかなのだ。
本書には、マンガとあるが、まんがとは言っても要するに「イラスト」でうまく難しい文章を和らげてくれている。そして、時の権力者である登場人物の似顔絵がとてもうまく臨場感をかもしだしているのだ。
イスラム教は多神教である。そして、ユダヤ教は一神教である。偶像礼拝を認めない。他を政治的に受け入れる風土も違えば、逆はある意味純粋でもある。
モーゼの十戒から、キリストから、十字軍、ロスチャイルド家、欧州強国の植民地政策、何度かの中東戦争、そしてアラファトの死。
なぜ英雄アラファトが、中東のテロリストになっていったのか。
面白い。面白いといっては不謹慎な歴史だけども、この歴史的悲劇は小説を読むよりも圧倒的に人類最大の物語として語り継がれていく。そして、何よりもニュースで伝わる被害者である両国民の惨事に、深く心を痛めさせられる。
実に深くて、実に考えさせられる。絶対に読んでいただきたい一冊である。
「世界中に民族は約3,000、言語は約5,000あるといわれる。でも国の数は200しかないのです。どう考えても民族の自決、分離独立は不可能なのです。人種、民族の壁を越えて平和に共存できる方法を一緒に考えてみたいのです。」―著者―
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