異文化が交通によって結ばれてそれぞれが発展していったということを軸にして、「日本史」「中国史」といった単体のものとしてではなく、アジア全体の歴史が述べられている。一時期問題となった某教科書のように偏った思想的なものも入っていないし、ぜひとも学校教育に取り入れるべきだと思う。
これは列伝にも言えることですが、太史公曰く、で司馬遷の意見を知ることができるのも良いです。どこか厭世的な空気を感じるコメントが彼自身の人生を反映しているようで史記自体が司馬遷という人物の人間性をよく伝えておりそこがまた興味深い点です。
古事記の真の著者は誰なのか?古事記と日本書紀の記述内容に食い違いがあるは何故なのか?日本の正史である日本書紀に古事記の存在そのものが無視されたかのように一切の記述がないのは何故なのか?
学説的な正しさを云々する素養を私は持ち合わせていませんが、筆者の疑問・謎を追いかけていく迫力に惹き込まれて、一気に読んでしまいました。
面白かった! 梅原ワールド!ヤマタノオロチや、因幡の白ウサギといった、我々にはなじみ深い古事記のの一説に対して、独自の解釈を試みている。あとがきの中で、著者自身その説の「誤り」を認めてはいるが、説のユニークさとその検証の説得力から、ついつい引き込まれてしまった。また、タイトルにもなっている「出雲神」の 流竄の話や、古事記・日本書紀の真の作者を解き明かす話の中で展開される、著者のダイナミックかつ繊細な自説には、古代へのロマンを膨らませてくれる楽しさが満ちあふれていた。
東と西の違いは東日本が家父長制的なイエ社会であり、西日本では母系的なムラ社会であることに起因するという宮本常一さんの説も紹介されている(p.46)。名主(東)と庄屋(西)という呼び方、交通手段における馬と船、やくざと忍者、宗教における曹洞宗と一向宗の広がりなど学問的に解明されていないものも含めて、思った以上に深いものだな、と改めて感じた(pp.307-308)。
「人の心のまかれるをはすて、なおしきをば賞して、おのすから土民安堵の計り事」をなしてきたという武士たちがつくった御成敗式目に対する「前近代の合議体の規範としてはおそらく最高水準に属する」という石母田正氏の評価は(p.217)、ぼく自身も関東の産だし心地よすぎる。 辺境から見た日本史 日本を東西の懸隔から考察した興味深い書物です。
確かに著者の主張には首肯できる箇所も多々あるとはいえ、著者自身がいわゆる「東国人」である所為かいささか東国に肩入れし過ぎている点が若干気に懸かります。かつて「鶏が鳴く東路の果ての僻地」でしかなかった関東が、事実上の首都および首都圏となった今日でさえ、和風文化においては王朝以来の京都文化の、そして外来文化においては欧米西洋文明の「植民地」でしかない事実が、何よりも関東地方が長い時代にわたる洗練された優美典雅な社会を培って来なかったことを証明しております。明治以降の日本が、どことなく野暮ったい社会になってしまったのも、このことと無関係ではないかも知れませんね。