という人にも、きっと楽しめる本です。 ア−ヴィングの最高傑作の一つア−ヴィングの浪漫的な筆がさえている。著者がスペイン人のサンチョというあだ名の従者を従えて旅する話やアルハンブラ宮殿の描写など読んでいてその美しい光景が目に浮かぶようである。あちこちに挿入されている挿絵がさらに読者を夢幻の世界へと誘うであろう。
最後の挿話として「アラブの占星術師の伝説」があるがこれがまた
よくできた伝承である。 オリエントへの憧憬 1829年春、作者がスペインのアルハンブラに数ヶ月滞在した体験をもとに、アルハンブラでの日々やそこで人々から聞いた話などを、スペインのレコンキスタ(再征服)の歴史を絡めながら綴った随筆調の作品。
イベリア半島は或る期間、モーロ人主体のイスラム軍に占領され、「アル・アンダルス」と呼ばれていた。アルハンブラも彼らが築いた宮殿である。が、度重なる北方からのキリスト教軍の侵攻(レコンキスタ)により、彼らはアル・アンダルスを失う。
「スペイン」の歴史の前に「アル・アンダルス」の歴史があった、ということは私にとって驚きであった。そして、そのアル・アンダルスの世界が、アーヴィングの筆によって蘇り、私達に、そのきらびやかでオリエンタルな世界を見せる。読後感爽やか!な作品である。
昔の日本人は、与えられた大自然に感謝し、その営みを壊すことなく、その中で合理的に生きていたのだということを実感することができる。一見すると、今の生活から比べてたいへんそうだなぁと思ってしまいそうだが、よくよく考えてみると、現代よりも人間らしい豊かな生活をしていたのではないかと思う。
自然は無尽蔵にあるかのように、これまでの蓄えを食いつぶし、ただひたすら”今”だけの満足を追い求めて、日本だけでなく世界中のあらゆる資源を浪費する。こんな社会が長く続くことは考えられない。本書に述べられているように「無から有は生じない」のである。
日本人はありとあらゆるものに神が存在するという信仰を持ち、自然に感謝しながら生きてきた。その思いは今の時代にあって全く古さを感じさせない、素晴らしいものだ。すべての恵みに感謝し、われわれを生かしてくれる地球にもっと目を向け、新しいライフスタイルを考えるきっかけを本書は与えてくれる。温故知新、先人は常に新しい道を示すヒントを与えてくれている。 著者の姿勢が凝縮されている本 江戸時代と現代の、日常生活でのエネルギー消費量を比較したもの。比較するために、江戸時代の暮らしを紹介しているところが興味深い。 そして、「事情シリーズ」や小説「大江戸シリーズ」で繰り返し書かれることがこの本の中にすべて詰まっている。
「何しろ、江戸の町奉行所の人員は、行政や裁判から警察業務の担当者まで含めて、たったの二九〇人しかいなかったのだ。これで、武士以外の五〇万市民を相手にしたのだから、勤労者人口の七人に一人が公務員や準公務員だという現代民主政府のような小うるさい干渉などできるはずもない。また、教員免許も初等教育についての制度や法律もなく、庶民のための初等教育予算はゼロ。手習師匠は、実質的には自由放任で自由競争だった。」(160ページ) エネルギーの消費量がどうこうではない。 世の中のあり方を問題にしているのである。
ひとによっては窮屈を感じるほどの威厳、堅物ぶりで身の回りを律する一方、積極的に新しいものを取り入れようとした、明治の創生期(混乱期)に適したマネジメントのスタイルが見えてくるような気がします。
印象的だったのは、薩摩藩の改革時のエピソード。昔の門閥や家老を全て藩の重役から外そうとしたとき、藩主久光が大変怒り、大久保を呼び付けたが、利通は頑として応じず、藩主は烈火のごとく怒って「系図もなにもこうなっては用がないから、焼いちまえ」と言ってブルブルふるえたそう。それでも意志を貫いたということは、自己の利害関係よりもマクロの藩や日本の利害を優先させる強い意志があったからなのでしょう。上司に弱いサラリーマンとしては、時として見習うべき姿勢、と感じます。 身近な人からみた「北洋の氷塊」政治家に必要な冷血が多いと評された大久保利通。 その大久保の部下や近親によって語られた大久保利通像は、大久保に ついてのステレオタイプなイメージとはずいぶん違う。とりわけ大久 保の妹によって語られたエピソードは微笑を誘われる。 司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」と併読するとよいのでは? この本を読んで大久保の凄さはわからないかもしれないが、彼の特質 である強靭さや懐の深さはハッキリとわかる。 クラウゼヴィッツが将帥に必要な資質として「強い性格」について書 いた記述があるが、大久保はまさにこれに当てはまるだろう。 以下、福地桜痴の評。 「公が政治家としては最上の冷血であるにも関わらず、個人としては 懇切なる温血に富んでおられることがわかる」 大久保公の威風を感じる 大隈重信や前島密など著名な人たち、あるいは大久保公の家族による大久保公の思い出話が満載である。 維新の英雄がどのような人柄であったのか、巷間にある小説や評論ではそれを書く作家のスケールに縮められるきらいがあって、今一つすばらしさが分からなかったが、この本では、大久保公の仕草、仕事振り、普段の姿が紹介され、頭の中で大久保公の人物像を自分なりに描く楽しみがあった。 読了後、世界が変わった。今の世に大久保公が生まれていたら、どういう人物になったろうかと考えた。どういう教育をすれば大久保公のような人物が出来上がるのか。時代や環境が人を作ったのか。 本では、大久保公に限らず、岩倉、西郷、木戸、伊藤などの方々のエピソードもある。彼らとの比較から浮かび上がる大久保公像。 大久保公を語る人たちは、ある人はともに仕事をしたことを誇り、ある人は懐かしんで涙乍らに語る。 読了後、興奮が冷めない。表紙の大久保公の写真を見つめていると、公が話し掛けてくださるようである。一度でも謦咳に触れたかった。
箱根・小田原で戦い、奥羽越列藩同盟に参加、磐城戦争を経て徳川家の存続が確認されて抗戦目的が達成されると降伏に応ずる。その後明治になってから生活は困窮するが、爵位を獲得でき、昭和16年94歳の一生を終えた。
歴史の中に埋もれてしまった小藩ながら筋を通した一大名の物語。 信念に生きた最後の殿様 幕末の動乱期に、全国の諸藩は佐幕か勤王かで揺れており、多くは日和見な態度をとっていた。 その中にあって請西藩1万石、若干二十歳の若き殿様、林忠崇は徳川宗家を守りたいという一心で最後まで佐幕に徹した人だった。
領民に見送られながら陣屋を出陣した忠崇は旧幕府の遊撃隊と行動を共にし、小田原で官軍と激突、その後も奥羽を転戦し、戊辰戦争後は新政府に仕え、神職などを勤めた。 昭和16年、94年の生涯に幕を閉じた林忠崇とはどういう人だったのか。戊辰戦争時の忠崇のとった行動、その後、明治・大正・昭和と忠崇はどんな人生を送ったのか。
最後の殿様である請西藩主林忠崇にスポットを当て、そこから幕末の動きが分かる一冊である。
貝塚版が通常用いられる歴史の教科書の体裁上に乗っ取っているのに対して、本書は筆者独自の切り口から5000年以上ものこの国の歴史を教えてくれる(むろん重複した記述も多い)。
良書だと思う。筆者は敢えて中華人民共和国の歴史を書かなかったとのべているが、欲を言えば、文化大革命までくらいは筆者の意見を聞いてみたかった。 7冊読んでも苦にならない一般的な知識プラスアルファが書かれているので、中国史の入門書としてはばっちり。これを読んでおもしろいと思った時代は、さらに自分で専門書を探して読む、という形で知識を補えば良いのではないでしょうか。
政治的事件だけでなく、王朝交代の背景にあった社会的要因などもところどころで説明されていて、これが面白い。学校で習ったことはわかりにくくて覚えられなかったので、こういう教え方をしてくれれば良かったのに、と感じました。
個人的には著者の「ですます」調に違和感を感じたのですが、2巻、3巻と読み進めるにつれて、まったく気にならなくなりました。