戦争初期のドイツ軍の快進撃は比較的スムーズに読めるものの、中盤に差し掛かるころの凄絶さは、読み手にある種の重さを与える。秋は道路は泥濘と化し補給が途絶し、冬は冬で冬将軍によって兵士の手足は凍傷にかかる。凍傷の手で銃を取り、機動戦を行うドイツ兵。文章が客観性に富むだけに、よけいにその凄絶さが際立つ。この本の続編の「焦土作戦」も必ず読もうと思っている。 ルーマニアおじさん:ドイツの司馬良太郎? この本は、独ソ戦の1941-1942スターリングラード攻防戦まで描く”バルバロッサ”の第1巻目である。
私は、この本はドイツ人の”司馬良太郎的作品”と考えている。ここでいう”司馬良太郎的作品”とは、歴史の大きな流れの中で個々の登場人物がどのように生を全うして生きたか、あるいは死んだかを巧みに体系的に表現し、なによりこれを読むとどこかで自分の生き方、あり様に思い当たることがあるという既視感がもってしまう小説のことだ。
さて、この本の良さを上げるとしたら、北はスターリングラード南はオデッサまで至る膨大な戦線での闘いを、上手い具合に書いていることである。私も同時期のルーマニア王国軍の戦史を研究しているが、この”上手くかかれて”というところがまさに脱帽である。焦点になる部分を巧みに切り取って、その継ぎ目を感じさせないように書かれているのだ。
ただ、忘れてならないのは、この本は小説であり、外務省に勤務した人物が戦後に書いた点である。多分に”ドイツ人は義務に忠実で、懸命に頑張った”という風に書いてあるが、そのあたりは多分に見びいて読むと良い。
最後に、この本の翻訳について書きたい。この翻訳は原著の魅力を如何なく発揮し、その上で別の小説を作り出すほど巧みな翻訳といっても良い。
知らずに時を忘れ、そして知らずに読みふける本とはまさにこのことだろう。
その際、戦略的なポイントとなっているのは、次のことだ。よくものごとの有り様は、それが展開された段階になってから振り返るとよく見えることがある。たとえば進化した人類の体の仕組みを知ったうえで、その進化の途上にあった猿たちを調べるとその体の仕組みがよく見えてくる。マルクスは『資本論』でそう言って、資本主義の段階から振り返ってそれ以前の時代をとらえなおした。
ポスターもマルクスと同じ戦略を使う。つまり情報のやりとりの様式は、(1)声による段階、(2)印刷物による段階、(3)電子メディアによる段階とに分けられる。そうして私たちは現在、(3)の段階にいる。この段階から振り返ることで、まだその段階に十分にはたどり着いていなかった頃の社会理論の欠点や、それを予告しながらも十分には展開できなかった哲学の本当に言いたかったことが、見えてくるというのだ。
こうして現在の情報様式の段階から社会理論と現代哲学が再検討される。と同時に、現代の情報文化のどこが画期的で重要なのかが、社会理論と現代哲学をふまえながら検討されることになる。ポスターはこの本で、これまでの社会理論や哲学ばかりでなく、現代の情報文化のありようも明らかにしてくれているのだ。
というわけでこの本は一粒で二度おいしい本なのだ。 さてと、もう一度読まなくちゃ!
・歴史から原理を抽出し、他の場面にも応用を考える人・歴史そのものに興味があり、歴史の勝者が具体的にどう勝ったのか? を知りたい人・軍事や国際政治などに興味のある人
大きく言って3つの読者像があったと思うが、今作の読者像は3番目の人に限定されてしまう気がする。
※そういう人にとっては買いだと思う。
1番目しか目的のない読者であれば、その主張は前作で尽きていると思われる。松村氏の著作でその発展を考えるなら選択は本作ではなく「戦術と指揮」あたりになるんじゃなかろうか?2番目の目的しかない読者でも今作には向かないと思う 左翼よりの政治家だけでなく、左翼よりのマスコミと国民に必読の書! この本は軍事史を紹介しながら、軍事学の初歩を説明している。これまでアメリカ帝国と中華帝国の政治目的による政治宣伝により、日本人は軍事を危険視してきた。しかし21世紀初頭に国民の運命を決定づける大戦争が起きる。そして軍事と外交の両面から防衛戦争を決断する必要がある。よって政治家を選択する「マスコミ」や国民が、国際関係学と「軍事学」の初歩を知るべき。さもないと日本人は奴隷にされるであろう。日本を防衛するためには、イスラエルのように、被害を恐れずに「独自の戦術」で「侵略者」を攻撃しなければならない。しかし日本は、単独での防衛を行えない「属国」である。しかもアメリカは、歴史的に日本を守る気など無い。例えば冷戦初期、アメリカ海軍は日本近海での艦隊の作戦計画な!!ど無く、日本は自前で空母2隻を保有する必要があった。しかしアメリカはそれを阻止した。しかも日本に核弾頭が落ちても、今だにアメリカの核兵器は発射されないシステムである。
私見だが、日本を防衛するためには、日本人独自の憲法と有事法制を制定する。そして日本軍独自の戦闘教義(得意技)に基づき、必要な装備を調達する。例えば核兵器や大量の予備役師団などである。そしてその装備をアメリカだけでなく、ロシアからも調達する。そのためには、国家戦略に基づきアメリカと一歩距離を置く必要がある。なぜならアメリカは「善意の足長おじさん」ではなく、自己中心的な普通の超大国に過ぎないからだ。戦うのがいやなら、奴隷になり死ねばよい。ただし攻撃対象は戦闘員のみに絞るべきだ。なぜなら非戦闘!!員の虐殺は怨念となり、長期的に不利である。そして空軍のみの攻撃は無意味であり、海洋国家日本が中華人民帝国に陸軍を常駐することは鬼門である。私見だが、日本から侵略せずに日本の防衛体制を整えて、中華の内乱を待つのが良いであろう。
また、同時代における西洋と日本とを比べるとどうしても日本の方が劣っているように書いた本が多いような気がしますが、各種工業・技術において西洋よりも優れているものを持っていたことも書いてあるので、日本の優秀さを再確認できましたし、最初から最後まで興味深く読むことができました。 ちょっとした歴史物の読み物ではなく、論文を文庫本サイズに縮めたものなので、たくさんの資料を基にしてかかれています。ですから、当時の人々の考え方等を除けばとても正確なものでしょうから、資料の引用部をみるだけでも価値があると思います。
最後に、副題に「日本史に学ぶ軍縮」とありますが、現代における軍縮と全く同じ意味で使われているとは思わない方がよいと思います。 我が国は軍縮の範となれるか?戦国末期の日本はヨーロッパから伝来した鉄砲の国産化に成功、大量生産を行った世界有数の軍事大国であったらしい。ヨーロッパでは火器の普及後ずっと戦争に明け暮れたが、我が国は天下泰平の世、江戸時代を迎え大幅な軍縮を行った。そして明治近代を迎えるまで刀の時代に帰っていた。
しかし江戸時代の我が国は、軍縮によって技術の発展が止まったわけではない。例えば火薬の用途は弾薬から花火へと転じたのだという。花火は日本の夜空に美を咲かせ、夏の風物詩となった。
アフガニスタン・イラクと世界に戦争は絶えない。歴史上稀に見る奇跡の軍縮を成し遂げた我が国が、戦争に協力する行動を採ることなく、新たな軍縮の形を提示するすることは出来ないのであろうか? 戦争の時代へ日本からのメーッセージ 1543年に種子島に漂流したヨーロッパ人によってもたらした鉄砲は戦国時代の日本にまたたく間に広がった。そして、鉄砲伝来から100年もたたないうちに、日本は世界最大の鉄砲保有国となったのである。 それから200年後、日本と西洋が再び出会った時、そこには鉄砲をすてた日本人がいた。
日本人にとっては、あたりまえすぎる「鉄砲伝来」と「ペルー来訪」の間に起きた事は世界でも類を見ない程の徹底した軍縮であった。この本は、戦争の時代とも入れる現代に、かつて日本人が行った事と、いま行おうとしていることを見つめなおす機会を与えてくれる一冊である。