最近、イスラムとキリストという2つの宗教がぶつかっているがお互い自分の思考回路から自由になれない、と感じている。自分自身もイスラム的思考・イスラム教の思想をまったく知らず同時に理解もしていないため、理解努力の一環で読んでみた。
読了した今もなお、彼らと彼らの宗教を理解できないでいるが、なぜ理解できないかその理由は理解できた。日本で第一線で活躍するイスラム学者として、今後ますます重要な位置を占めるであろう著者の名作と感じた。
建国以来、米国は他国を攻めるようなことはあっても、自国が本格的に攻められることはなかった。攻撃の矛先が初めて米国に向いたという意味で、9.11は未だかつてない出来事であった。しかもそれは得体の知れないテロリスト集団によるものであり、9.11は米国のみならず世界を震撼させた。
しかし、それとアフガン空爆に踏み切るのとは別問題である。米国に反撃する権利はない。これがチョムスキーの主張である。この本では、ICJがニカラグア事件で米国を「テロ支援国家」としたことや、米国のスーダン空爆によって特効薬を製造していた工場が破壊され、結果的に多くの被害をもたらしたことなど、具体的事例をもとに、気持ちのいいくらい強烈な対米批判がなされている。
確かに米国はしばしば国際法を破るし、常に人道的な行動を取っているわけではない。ただ、ある事例を取り上げて国全体の性質を断定することによって、著者は合成の誤謬に陥っているのではないだろうか。 翻訳はさほど気になりません翻訳が稚拙だとの、意見が有りますが、さほど気にはなりません。寧ろ、ジャーナリスティックな観点から早い翻訳を試み、文庫化したのを誉めるべきかと思います。
チョムスキーは横(市民団体)の繋がりが政治を変えていくといってますが、それは如何なものか。寧ろ考えるのはマクロポリティックスだと思います。 翻訳が・・・。英語版を読み、その後日本語版を読む機会があったのですが、あまりの翻訳の酷さに驚いてしまいました。翻訳過程で意味が変わってしまっている点もありますが、日本語としておかしい部分があまりに多く読みづらかったです。翻訳者の方はこのテーマに関して詳しい方ではなかったのでは?洋書はテーマによっては翻訳の過程で翻訳者の考えが反映されてしまう事も多々あるように思います。やはり洋書は可能な限り原書を読んだほうがいいですね。内容もインタビュー形式の為か“より”深くまで言及されておらず、911後にこの様なテーマに興味を持った方や何も知らずに親米の方へのきっかけ作りのような内容に感じます。より詳しい事例等を知りたければ、本書の中で紹介されているような専門家の著書の方がよいかもしれませんね。
日本が韓国(朝鮮)を侵略したという事実だけを理由に、韓国の人が日本を恨んで・嫌っているのかと思っていたが、本書を読むとそうではないことがわかった。
韓国に感心を持っている人はもちろんだが、政府関係者や韓国とつきあっていく企業の人などは本書を読んでおくといいと思った。 日韓の文化比較、びっくりすることが多い 処女作の「スカートの風」は日韓の文化比較の他に韓国出身のホステス事情という内幕ものの要素があったが、本書は文化比較に限定してこと細かく説明している。友人関係・夫婦関係・ビジネス関係における日韓の習慣の相違と、すれ違いが描かれる。また、日本にはない「恨」(ハン)の概念の解説も詳しい。
本書の中で最も印象的だったのは、ライフルを持って立て籠もった犯罪者の投降を呼びかけるために犯人の母親が呼び出されて拡声器から自分の息子に呼びかけることへの感想だ(176頁)。日本では良く行われていることだが、著者が、「韓国ではこのような母親の行動は絶対と言ってよいほど起こらない」と言い、「いいようのない怒りがこみ上げて来る」と書いているのには、びっくりした。著者は「社会では悪くとも自分いとって悪い子であるわけがない」と言っている。儒教精神が韓国の方が日本より強いこと(論語には「親は子のために隠し、子は親のために隠す」とある)、および日本の母親の影響力の強さから来ることなのだろうが、このパラグラフを読むまで私は母親による説得はてっきり全世界で行われているとばかり思っていた。 『行き違い』を克服して対等で健全な関係を新鮮な驚きと感動を与えてくれた著者の処女本『スカートの風』に続く本書にもまた、見かけは全く区別のつかない日本人と韓国人(韓国人が『朝鮮人』と呼ばれるのを嫌がっていたとは)の文化的・慣習的違いの無知による「行き違い」について胸落ちのすることが沢山書かれている。
私の通った高校のある山口県萩市は知る人ぞ知る古い伝統ある陶器・萩焼の町であるが、藩主毛利輝元によって招致・厚遇された朝鮮人陶工らは、人間国宝・11代三輪休雪のようにいまも綿々と続く大陶芸家の宗主家として尊敬されている。一昔前は私も左翼思想に染まって「どうせ『招致』じゃなく『拉致』して来たんだろう」くらいに思っていた。が、呉氏のいうように韓国では「技術者」「工芸家」などが軽蔑されているということを知ってから、作家が作品一つ一つに「伝統の技」と「魂」を込め、そのことに誇りを持つという伝統がある日本で才能を遺憾なく発揮した陶工たちは、むしろ幸せだったかもしれないと思うようになった。日本では庶民に至るまでそういう素地があったからこそ、世界の『技術大国』として認知されるまでになったのだと思う。そうではないからと韓国を馬鹿にするのではない。「日本にはこういういいところもある」「これが日本人のやり方・考え方だ」と自信を持つことは卑屈でない対等の国際関係を目指すものにとって基本的姿勢であるべきだろうと思うのだ。 自分を知るにも良い一冊もともと本書はどちらかというと韓国人の異質性について語られている部分が大きいが、日本人と韓国人との違いを指摘する箇所から、日本で育った私の様な日本人は自分達の異質性に気づかず、どこへ行っても自分たちは理解される物だと考えがちであるがそうでないことを理解させられる。
もちろん、日本人とは違った韓国人の考え方を知るにも良く、彼らとつきあうならば事前勉強としてとても良いだろう。