高校生でも読める程度の文章なのでなおさらgoodです。
著者の主張は一見保守的に見えて、実は日本の思想をラディカルに変革しようとする意図を秘めています。その意味では、著者を右にカテゴライズするのは誤読というものだと思います。 議論は面白いのですが、最後に著者年来の主張である「押し付け憲法論」に回帰してしまったのは、どうにかならないか、と思ったりもします。もちろん、著者の言う押し付け論は、保守の方々のように、再軍備や靖国条項を含んだ自主憲法の制定、という議論とは色合いの違うものであることは、著者の名誉のために付け加えておきましょう。しかし、著者の別の著作に親しんでいる方にとっては、「またか・・・」という感想を持たれるのもやむなし、という気がしますが、いかがでしょうか。 著者と共に考えさせてくれる本公私概念の二項対立からでは思想は生まれないという著者独特のテーマから編み出される日本人論。あくまでも日本に思想が生まれないことを検討し、それを克服するにはどうするかという問題が含まれているものの、プライヴェートな意識から離れた公共性はない、という主張は抽象化すれば日本論を超えて訴えかけるものがある。だからこそハンナ・アーレントは批判されているわけだ。
この本の言っていることは言葉に表せば平易に尽きてしまうが、その結論に至るまでに古今東西の思想家の思想を検討しつつ導かれていて、著者の該博な知識がいきつもどりつしながらも、「一つ」の明確な答え――私情を離れない公共性にどう行き着くかが読者と共に考えることができるように構成されている。だから、結論ははじめに言われているにもかかわらず、読者が読み続けていられるのは、著者が司法の問題を解くように判例を読み上げ、対象となっているモノの検討を重ねていくことと似たような過程が示されているからである。それは確かにスリリングといっていいかもしれない。この検討のスリリングさを味わえるのならば、著者がしおらしく反省している文章の読みにくさなど吹き飛んでしまうに違いない。結論は明確にはじめに提示されているのだから、われわれ読者はそれが真なのかどうかを考えていけばいい。そこに晦渋さがほのみえるのは仕方が無い。小林秀雄が担っていた文芸評論の広範囲な視線がここには尚残っている。新書価格で購入できるのは喜ばしい限りだと思う。 公と私 「公」と「私」が対立的な概念でないことを非常に分かり易く解き明かしながら、これまでの対立的な公私概念にある種の欺瞞があることを痛烈に指摘している。そして、その欺瞞が思想を「生み出さない」土壌となっていることを主張しながら、この日本にどのようにしたら「思想」を取り戻すことができるか模索する、きわめて切実な思想的探求である。
公的な自分と、「プライベート」な自己を本当に切り分けることができるのか?
いわゆる<公人と私人>という政治的まやかしに懐疑的な人のみならず、日常的にやたら「プライベートですから・・・」とのたまっている人は一読したほうがよいだろう。
同時に『意味とエロス』、『現象学入門』竹田青嗣(著)を読んでみることをお勧めする。結局私たちは主観からしか出発することができないという現象学的立場と、加藤典洋が提出する公私概念には何か共通するものを読むことができるのではないだろうか。そういった意味では、加藤典洋は非常に理知的に社会像を構想しているといえる。加藤典洋を右派的に読んで妙に警戒する読者(団塊世代か?)に時々出会うが、そういう印象を受けているひとにはなおさら併せて読んでもらいたい。(思想とは、より高次の価値を生み出す原動力なのだから、あまりネガティブな読み方をするのはやめよう)
本書の構成としては、第1章では、第2次世界大戦前の英国支配から第4次中東戦争までの歴史を簡単に述べています。第2章では、第1次インテリファーダとハマスがどのように誕生したのか、第3章では、そのインテリファーダが湾岸戦争の際のPLOの政策に与えた影響とその後の国際政治の力学がオスロ合意へと導いたことについて描いています。また、第4章ではクリントン大統領・バラク首相・アラファト議長の3者によるキャンプデービットでの交渉(2000年)と第2次インテリファーダの発生について、第5章ではその第2次インテリファーダがどのようのものであったかについてジャーナリスティックに記述しています。第6章では、アラファトが第2次インテリファーダを交渉で利用しようとしたがコントロールできなくなってしまい、交渉のカードとして利用できなくなっていった過程、第7章では、その第2次インテリファーダに対するイスラエル国家の対応の背景が描かれています。そして最後に第8章では、現在のブッシュ政権のパレスチナ問題への対応の問題点が描かれ、これからパレスチナ紛争はどのような落としどころをみつけていくのかということが書かれて本書は終わります。
本書の特徴は、筆者がジャーナリストということです。したがって、民衆蜂起やアラファトへのインタビューの記述や、オスロ合意やキャンプデービット交渉について状況を刻々と蘇らせていることは、読者の興味をひきつけると思います。インテリファーダに代表されるように民衆レベルまで対立の構造が浸透してしまいそれが解決を困難にしている状況、第2次世界大戦後イスラエルは国家としての正統性を着々と蓄積してきたが一方パレスチナはそれができなかったことなど、パレスチナ紛争が以下に解決が難しいかということもわかってきます。 複雑な中東問題を分かりやすくとかく複雑で日本人には分かりにくい中東のパレスチナ紛争。この本はその歴史と構造と問題点を、的確に分かりやすくまとめている。当事者であるイスラエルとパレスチナ人、それに仲裁役をもって自認している大国のアメリカ。それぞれの抱えている立場や問題と責任について、どれかに偏ることなく公平な立場で書いてあるので、この問題について整理して理解するのに大変役立つ本だ。高橋和夫の「アラブとイスラエル」(講談社現代新書)と合わせて読むと、パレスチナ問題の背景がよくわかる。ただこちらは1992年の本なので、最近の9.11同時多発テロとその後の中東情勢については、やはりこの「パレスチナ紛争史」をお勧めする。 パレスチナ問題こそ現場感覚が必要9.11以降山のようなパレスチナ問題の関連書籍が出版されましたがどれも実際の体験に基づく迫力ある記載に欠け読んでいても心動かされることが少なくいまひとつでした。おそらくそう思われた方も多いと思います。そもそも「戦争」や「紛争」ということばでくくって語ってしまうところから問題を皮膚感覚からと遠ざけてしまう過ちが起こっていると思います。本著では著者はジャーナリストとして実際に現場を目の当たりにし、アラファトに取材し、自ら感じたことを問題意識の出発点としており迫力があります。新聞記者としてわかりやすい記述の訓練も受けてきたせいか他の類書ではおちいりやすい専門用語の罠にも陥ることなく最後まで読者をひきつけます。