正法眼蔵の原文の日本語は現代人からすると難しいと感じるひとが多いでしょう。そう感じる人でも、この翻訳により、正法眼蔵のすばらしさに触れることができるのです。原文はとても格調高く、リズムがある文章です。現代文訳を足がかりにさらに原文にも触れるとよいでしょう。道元の思想に触れるにはとてもよい翻訳だと思います。
右手の王・左手の王、魔術師、片目の司祭、ヒルの脳髄研究者、さまざまな「ましな者」がツァラトゥストラに従う、彼の大切な愚か者である。
そしてツァラトゥストラに対立する登場人物に、「小人」がいる。彼は重力の魔の別名であり、同時にツァラトゥストラ本人でもある。
「小人め! おまえか! それとも、私か!」
この作品は全てがニーチェの腹話術であり、同時にそれを暴露する書物なのである。作者はこの書物が、恥ずべき乖離で表現されていることを、隠すのではなく、恥じつつも暴露している。なぜなら乖離とは蓄群のするところであり、その喩えが「右手の王・左手の王」であり、「魔術師」だからだ。乖離で作品を描くことの暴露は、シェイクスピアが「テンペスト」で行った。
しかしツァラトゥストラは、乖離した人格の統合を目指す者であり、その意味でニーチェ哲学はニーチェ心理学とも呼ばれる。
「これからは、心理学の時代となる。」(ニーチェ)
皮肉にも梅毒で発狂した者は、未来を言い当てたのではなかろうか。そして彼の告発者であり、後継者であるユングは、この先人を次のように褒め称えた。
「ニーチェの身に何が起きたのかを、人々は理解するべきなのである。」
永遠回帰とは、ユング心理学で「エナンティオドロミー」と呼ばれる心理状態であり、「自我インフレーション」という言葉とも関係が深い。永遠回帰とは、ゲーテの愛した「永遠」と自我とが、一つに合一する瞬間である。
これを原始キリスト教で「三位一体」と呼んだのではないかとするのが、ユングのカバラおよび錬金術解釈である。永遠の第三のペルソナである聖霊とは、「永遠の女性」のことである。