快はそれへの禁止が強ければ強いほどより強烈に感じられるのだ。禁止は他者からはもちろん、自分で自分に対する禁止もある。「いけないと思うけどやってしまう」ほうが、許容された行動よりも快感は強いのである。
臨床心理専攻の大学院生には常識と思いますが、一般向けの啓蒙書でこのように細かく指導してもらえるのは、ありがたいことです。 依存症はなにか著者は原宿カウンセリングセンター所長で、臨床心理士だそうです。この本は、酒、タバコ、ゲーム、買い物、ギャンブルなど、快楽によって、束の間不安や悩みから逃れる状態(嗜好)が悪習慣化し、家族など周りの人達に迷惑をかける「依存症」について書かれた本です。はじめに依存症は嗜好(Addiction)とどう違うのか、という説明がなされています。嗜好自体は、自分を癒し回復するための自己治療というメリットもありますが、刹那的で、自分のことしか視野に入っていない内閉性があります。継続するためには、周囲の人間を手段として用いることすらあります。こうした状況が悪化すると、嗜癖的快感を得ることが目的とすりかわり、人を手段とすることで大切な人を傷つけてしまうというプロセスに転換してししまい、これが依存症といわれる状態に相当するのだそうです。「付き合いきれない」という言葉がありますが、依存症の人に対して使われるのは、それが周りに迷惑をかける行為だからくるのだということです。 非常に興味深い本ではありますが、いくつか本当にそうなのかな、と思ったところもありました。一つは、著者の世代的特徴なのかもしれませんが、アダルトチルドレンや依存症の問題を、近代化、資本主義の発展、冷戦の終了に始まる価値観の流動化、といった大きな歴史的・社会的問題に根拠を求めているところです。確かにそれも一因としてあるのかもしれませんが、証明も難しい論旨のように思います。例えば、アダルトチルドレンは親子の間の支配関係を読み解きましたが、これが資本家・労働者の支配関係を読み解いたマルクス主義、男性・女性の支配関係を捉えたフェミニズムと対比させられるのは、少し論理的飛躍があるのではないか、という気もしました。
を組みあげる人間の恣意的解釈が織り込まれれば、どんな完成図でも描くことが可能であるからだ。
ただ、八咫烏と飛鳥氏の「然り!」とか「否!!」といったやりとりは見ていてスリリングで楽しい。密かにマイブームである(wこの作品に関しては五島勉を超えたのではないかと思う。 右翼やコヴァは全然気づいてないんでしょうねもし、この本の内容が真実だったら、本当にエラいことになってしまうんでしょうね。よく世間一般で「神の国」とか騒いでいる右翼とかコヴァ(小林よしのり信者)って、まさか日本の神道の神様が「汝の敵を愛せよ」のイエスキリストだったなんて、全然考えてもいないんでしょうね。彼らが「天照大神の正体」を知ってしまった時の驚いた顔が見てみたいです。 伊勢神宮に行きたくなる内宮にイエスキリストが処刑されたときの本物の十字架が安置されているとのこと。外宮にはモーゼゆかりの遺品が安置されているとのこと。本当だったら、大発見中の大発見。問題は信ぴょう性のみ。でも、かなり本当っぽい。