私は、個人が編んだ名盤セレクションみたいなのは嗜好がバリバリでているほうが面白いと思うので、これはこれでいいとおもう。つか、「ぼくの愛する」だから偏りが多いのは当然で、そこを非難するのは的はずれだと思う。
気になるのはカタカナ表記に対する筆者のこだわり。レッド・ツェッペリンはわざわざ「(ハイ、こう発音するのです)」という但し書きまでつけて「ゼペリン」とかいているし、ジョニ・ミッチェルは「ジョーニ・ミッチェル」、「ザ・ポリス」は「ザ・ポリース」、ビーチ・ボーイズは「ビーチ・ボイズ」。なのに、けっこう通例のままのもあるし…。この不徹底ぶりがかなり気になる。まあ、敢えて通例つかわれるカタカナ表記をやめたやつは、ネイティブにとっては耐えられないほどの違和感だったんでしょうけど。(このことについては前書きの部分で言及されているけど。)
とくにロックのルーツについて知ることのできるアルバムとか充実していていいとおもった。ま、いろいろと気になるアルバムが見つかったんで、買って聞いてみようと思っております。 いまいち ピーター・バラカンが勧めるCDを買って「あたり!」と思うことが多いので、興味を持って購入してみました。でも、文章に魅力がないし、個人的な回想(悪く言えば衒学的)な部分も多いし、正直言って面白くも何ともなかったです。鋭く作品の本質を衝くような新しい視点を提示していることを期待していたんですが・・・・。 単なるオナニー回想録正直言って期待外れでした。およそ批評とは言い難い一口コメントばかりで矢継ぎ早に紹介しているだけで、やっつけ仕事以外の何物でもない。しかも著者本人が冒頭で断っている通り、欠落しているアーティストがかなりある。私個人としては「ボッパーTV」とかいう思い入れも先入観も全く持っていなかったので、面白くも何ともなかった。これだったら渋谷陽一氏の似たような著作の方がまだマシ。みんな、著者を買い被りすぎ。
いつか出版されるかもしれない、わが著書「シンデレラさん、お大事に」の続編に備え、この本をネタにしつつ、いくつか覚書。
白雪姫。 王子様は死んでる女性が好きな、necrophilia(死体愛)。
眠れる森の美女
美女が眠りから覚めるのは、100年後。100年後には美女は老婆に。そんな老婆を愛する王子は,gerontophilia(老人愛)。
人魚姫 人魚から人間になった姫は声が出せなくなる。それは人魚だった過去をノンカムアウトで生きていくこと。
ピノキオ 自分で人生を切り開かないピノキオは、あやつり人形。意思を持ち未来を切り開きだしたときに始めて人間になる。
レコード1枚について見開き2ページ。どんな人気盤も隠れたマイナー盤も関係なく、同じように解説を加えていく。その中で僕たちは、名プロデューサー・ライオンの軌跡をたどりながら、なぜブルーノートでかくも多くの名盤が生まれたのか、という秘密に迫ることとなる。本書を読んで、改めて紹介されている作品を聴き直してみよう。必ず新しい発見があるはずだ。 偉大なプロデューサブルーノートレーベルの1500番台の98枚について,それぞれにまつわるエピソードを紹介しています.
ブルーノートはひとつのレーベルであることに違いはないのですが,単なるジャズレコードの集合体ではなく,偉大なプロデューサであるアルフレッド・ライオンによって創造されたひとつの哲学と言ってもよいでしょう.それぞれの演奏者はあくまでもプレイヤーであり,レコードあるいはレーベルを作るのはプロデューサの仕事であるということがよく分かります.
それぞれのレコードに収録されている曲がどんな感じで,聞き所はどこかというようなことを期待していると若干期待はずれに終わるかもしれませんが,ブルーノートとは何ぞやという向きにはお勧めです.
勝利至上主義を戒める名言である。破天荒な生活と、定石に囚われず自由な発想で打つというスタイルは、多くの囲碁ファンを魅了した。海外棋戦で苦戦している今の日本勢にも、この藤沢氏のスピリットを継承して欲しいと願って止まない。
あの番組のストーリーであったように「余命1年の人間が絶望から立ち上がり、余生を精一杯生きた」そんな人間はほんの一握りだということ、
余命1年の人間に接するとき自分は何も出来なかったと後悔する人の多いこと、でも、ほんの一握りでも実際にそういう人間が存在するのだということをこの本は教えてくれます。
インターネット掲示板からの抜粋なので、もちろん、関西テレビが編集する際に番組に対して都合の悪い文章は取り除いて掲載されているとは思います。
それでも、一度読む価値はあると思います。誰もにいずれ訪れる「死」というものに向き合って考える時間を持つことになりますから。 正直な感想・・・ドラマは、あまり見ていませんでした。「僕の生きる道」のノベライズ読みました。電車の中で、涙しました。「もう一つの僕の生きる道」この本は、重いです。生の人間の苦しみの多いこと。ドラマではなく、現実であること。
私自身、ある人の「死」によって、多くのものを学びました。でも、ここでは触れません。私の人生に影響を与えています。
そして、私も人に影響を与えたいと思っています。@感じたら(感じる、気付く・・・見落としがち)Aよく考えて(自分の頭で)B行動するだけです。(思うだけでは、変化はしない)悲しい話に、涙しているだけでは、生きていけません。 人それぞれの僕の生きる道 ドラマを見て感動し、さらにこの本を読んでドラマの情景を思い出し、やはり涙があふれてしまいます。 人それぞれ生き方が違っても、必ず、人生に対する悩み、苦しみ・・・・・をかかえていて、数えたら限がありません。
しかし、真に生きると言うことは、逆境にあっても怯まないで、真正面からぶつかって、何とか乗り越えて行くのが人の生きる道だと教えてくれました。 ドラマの中に、あったように、『いま、このときは、二度同じときはこないのです。今日できることを明日に伸ばすことは、1年たってもできないのです。』
だから、今日、このときを精一杯生きるのです。たとえ、いま、健康であっても、誰しも明日が絶対に来るとは限らないのだから・・・。 人それぞれの生きる道 『僕の生きる道』のドラマを見終わって、また、『もうひとつの僕の生きる道』を読み終わって、改めて生きることの重さを痛感します。人それぞれの生き方、置かれている生活環境は、異なっていますが、それぞれに生きることの苦しみ・悩み、将来に対する不安を抱えて、ほとんどの人が必死に『生きています』(中には不幸にも『ずっと生きたくても生きられない』人もいます)。 だからこそ、ドラマにあったように『一日一日を精一杯生きよう』と、思います。今日と言う日は二度と来ないのです。たいていの人の場合、明日が来ることを当然として、生きていますが、実は、事故・病気・災害はいつ襲い掛かってくるのかわからないのです。
『今を生きる』ということは、実は、その人の人生観であり、反面、『いかに死すべきか』という命題でもあるわけです。 このことを、このドラマが私達に問いかけているのです。
川口松太郎が「人生の指導書」と絶賛した、と裏表紙にありましたが、全くその通り。
人生をかじり始めた私でも面白く、また勉強させられ、それよりも何よりも彼女の潔さ、プロ意識、人間としての品性などに圧倒させられました。
大正13(1924)年に生まれて、こんな自由なものの見方が出来るんだ、こんな女優もいたんだ、と驚かされそして感動しました。
少しでも多くの人に読んでもらいたいです。