1945年以降の歌謡の歴史をまんべんなく俯瞰していて、同時代を知らない世代でも、その時代の雰囲気や価値観がよく理解できる。とりわけ70年代から90年代にかけての記述は、感動的ですらある。大げさに響くかもしれないけれど、読後感は、長編歴史小説を読んだときのような感動にも似ている。
たけし、師匠の深見千三郎、ストリッパー、芸人たちが浅草で笑い、泣き、怒り、飲む姿は、初期北野映画のように乾いていない。非常に泥臭くて湿っている。作家として北野武とビートたけしはまったく別の光を放っているように思う。ただし底辺にある人生についての諦念は共通しているかもしれない。また諦めた上で笑うしかないという姿勢もいくらか似たところがあるかもしれない。
週間もののエッセイというのは、時事(ニュース・季節etc)をこまめに取り上げたものか、作者の考察(思ったこと、気付いたこと)を綴ったものに大別できるかなあと思っているんですが、本作は後者のタイプです。
村上春樹のエッセイでいつも面白いと思うのは、「ああ、そういうことあるな」となんとなく思えることが散りばめられているということです。「関西弁について(地方出身者の方言がどのように変化していくか?)」や「不要物の集積(気付いてみたらボールペンや本やCDが大量に・・・整理も廃棄も難しい)」私たちも日々なんとなく体験していることも、作家のてにかかるときちんとした形になるんですね。
個人的に本作の珠玉は「オーディオ・スパゲティ」ではないかと思ってます。もう20年近く前のエッセイですが、PC・プリンタ・TVetcに囲まれている現在、水丸先生の挿絵の状態になっている男性って多いのではないですか?なんといっても「こういうのは男性の出番」と(男性も含めて)思っていることが多いですもんね。さして得意でもないのに・・・という人も多いのでは?皆さんも一緒に頑張りましょう! ページ数も増え、一層充実した第二弾エッセイ集「村上朝日堂」は元々「週刊アルバイトニュース」に連載されていましたが、本書に収められているエッセイは、「週刊朝日」に舞台を移して書き綴られたもの。ページ数が、文庫で2ページの「朝日堂」に比べて、一本4ページくらいになっており、一層深く突っ込んだ内容となっています。とは言え、軽妙でどこかズレた視点と、安西水丸氏の定番イラストは相変わらずで、大変楽しめる作品となっています。80年代の空気を色濃く漂わせながらも、古びず、時間を超えて訴えかけてくる素晴らしい文章の数々です。 シリーズ最高傑作!媒体をかえて何度も掲載されている村上春樹エッセイ第2弾。ほどよい長さのせいか、第1作(「村上朝日堂」)よりも読み応えがあり、個人的な出来事と、読者の関心事とがほどよくまとまった、粒ぞろいのエッセイ集に仕上がっています。シリーズ最高傑作(エッセイにそういう言い方が許されるとすれば)だと、少なくとも私はそう思うし、世評もそうだったからこそ、この後さまざまな「村上朝日堂」ブランドが生まれたんだと思います。全体に小春日和のような80年代前半ののんびりした雰囲気が漂っています。80年代は、メジャーな週刊誌にもこれほどパーソナルなエッセイが連載されていたのです。(しかし時に「政治の季節」といった、90年代を暗示するかのようなエッセイが挟まっていて、今読み返すとドキリとさせられます)
真相を明かされた後、同じ文章を読み直してみると、全く世界が変わってしまうのも醍醐味。この作品は、折原一氏の長編第1作――では実質上ないのですが、まぁ最初期の作品の一つです。という事で(?)プロットが比較的判り易く、一度読んですんなり把握できるのが嬉しい所。
とは言っても繰り返しますが、2度以上目を通して真の凄さに瞠目できる逸品なのは、折原作品たる真髄なのでした。お奨めです。