ただし,イギリス衰亡史を扱った著作は多いが,文明史・精神史的なアプローチからの著作は依然として少ないとかいいながら(7頁),じゃあどこがどう違うのか?という疑問は,読者に押し付けて自分の独創性を言い立てているような読み方をしてしまうのは,僕がバカだからかな? どこがどう違うのかを具体的に事実列挙して欲しかったです。
衰亡史を語るためには衰亡する以前の興隆史を描かねばならず,その意味で,イギリスという国家の興亡史であることは避けられない。事実,本書のつくりもそうなっている。「京都大学」「文明」「衰亡」というキーワードが出てきて,なぜ高坂正堯(たとえば『古典外交の成熟と崩壊』)の名前が出てはこないのか?っちゅう疑問を,東大卒でも京大卒でもない阿呆は感じるわけです。
チャーチルもろくすっぽ知らない素人にとって,ウィリアム・テンプルとかチャールズ・ジョージ・ゴードンとか,絶対に高校の歴史教科書には出てこない人物に光を当てて歴史を描き出しているのは面食らわされるけども,さすが専門家。人物史観の『プロジェクトX』バージョンだ。
文庫本にしたのは大正解。興味あるものは読まれよ 上質の歴史書大英帝国の興隆と衰亡を、その支配者たる英国貴族の政治家を中心に据えて述べた歴史書です。大国を担う政治家エリートとはどうあるべきか、今の日本も含めて考えさせられます。歴史事実に対して若干説明不足の部分があり、素人にとっては分かりにくいのは否めませんがある程度の世界史の知識があれば何とかクリアできるでしょう。ポール・ケネディの「大国の興亡」でも読んでいるのであれば問題なし。
著者はアーカイブスの資料や関係者の証言をもとに日米戦争からGHQの日本統治をへて現代までの戦後政治のさまざまな局面を「情報工作」という光をあてて読み解いていく。
そこに現れる発見と真相の数々には読んでいて驚きを隠せない。
戦後の多くの著名政治家がアメリカの情報機関と様々な関係をもっていたことや大事件の裏に見え隠れする情報工作、まさに緊迫の調査報道である。
アメリカが国際政治や外交において「情報」をいかに重視してきたかを見せ付けると共に、対照的に情報後進国でありつづける日本の姿を
はっきりと浮き彫りにしている。
情報戦の勝ち組アメリカ、負け組日本という構図は21世紀に入ってもあまり変わっていないようだ。 裏から見る日米政治史太平洋戦争に於ける日本の敗北の最大の原因は、情報戦において圧倒的に米国に劣っていたことであると多くの歴史文献が明らかにしている。優れた米国の情報戦力によって、日本は戦争に誘い込まれそして敗北したとさえ言う人もいるぐらいだ。情報戦とも諜報戦ともいわれる戦いの力量の差から、日本は戦う前から負けが確定していたと言っても良いだろう。
米国の世界戦略は当時も又現代においてさえも、この圧倒的な情報戦力に基づいている。米国の世界覇権を支えているのは、CIAという単独機関の働きだけではなく、政府機能自身に強く埋め込まれたこの情報に対する鋭い価値観なのだ。
現在共同通信の論説委員長を務める著者は在米記者活動12年に及ぶという。本書は上下二巻に亘り、第二次大戦、現代に至るまでの米国、特にCIAの対日工作を実に丹念に追った労作である。
戦後50年を経て漸く公開された様々な秘密文書などを読みこみ、豊富なインタビューなどの記録から明かされる対日工作の内容は衝撃的である。嫌らしい、あるいは「汚い」ともいえるほどの米国の諜報謀略に憤激を覚えないではないが、その一方で、余りにも情報戦において不甲斐なく、無防備な日本の体制にこそ憤激すべきかなとも思う。
GHQによって行われた、「公職追放」が如何に恣意的な情報戦略の一貫として行われたかの下りは特に興味を引かれる。吉田茂が一旦はリストに載りながら、米国側の事情によって巧妙に追放リストから外される一方では、吉田の政敵でもあった鳩山一郎が何故追放を免れ得なかったのかという秘話などは、日本戦後史の謎解きを読むようだ。
本書には、核持ち込みに関する日米秘密協定、安保、沖縄返還交渉の秘話など衝撃の事実が多く掲載されている。又、現在、活躍中の政治家がCIAの人物ファイルにどのように書かれているかといった点など、著者の資料収集力と分析力には驚嘆させられる。
戦後20年経って著された本書であるが、その生々しい悲惨と尊厳をかけて戦う人々の姿は現在でも我々に痛烈な印象を残す。主題が反戦ではなく、著者が実際に見て、聞いたことを選びぬいた末の辛辣な言葉は、一語一句に未来を託してヒロシマを見つめる著者の姿が伺える。歴史の性として、年々ぼやけていく記憶と記録も、本書の70を超える版数を見る限りそのそしりを少なからず免れているのではないかと思い安堵を覚える。
平和大行進も広島宣言も、毎年行われている。2005年は、原爆投下から60年の節目の年を迎えるが、「核戦争の全廃」を国連で決議し、核保有国すべてに調印させるという動きが見られる。形骸化も否めないと予測されるこれらの活動は、これを契機にまた大きな潮流となって世界を動かすことができるだろうか。本書を読んだ方なら、切に願わずにはいられないことだろう。
写真の黎明期、シャッターの瞬間に向かって生きたモデルたちを、もはや私たちは撮し出すことができないのでしょうか.当時の写真家たちの証言や作品そのものを交えながら、もう一度、撮すことと撮されることを振り返ってみると同時に、私たちの幼年時代を振り返ってみてはいかがでしょうか.