一緒に旅行したアメリカから帰りの機内で、私が食事の度に薬を何種類か飲んでいるを見かねて「読んでみなさい」と渡してくれました。
読後、この内容は、本当ですか? と聞くと「そうやね」と言われました。
先生がガンになったらどうしますか? とすかさず聞くと「・・・」、無言の返事に深刻に考えました。
薬の飲み過ぎに注意しましょう! 無意味な治療よ、さらば普段何の疑いも持たずにいる医療の知識が、科学的な根拠に乏しいものだとしたらどうだろうか。医療・治療について根本から揺るがしかねない問題に正面から切り込んだ1冊。
病への不安や経済的負担から、治療はそもそもすべきものではないというのが著者のスタンス。そうした上で、治療するに値する効果が証明されているかどうかを検証していく。
勘違いしてはいけないことは、あくまでも自覚症状(痛みなど)がある場合は治療をすべきであると著者は断っており、医療そのものを否定しているわけではない。医療技術の高度化によって、無理やり異常値を発見し、患者を半ば脅迫的に治療するという実態がある。そうした現代医療についての批判である。 この本に出会えて良かったこの本の著者である近藤誠さんを知ったのは、週刊少年マガジンで連載中の「クニミツの政」という漫画の中で描かれていた「インフルエンザの予防接種は必要ない。むしろ危険性がある。」という話。
「えー、マジで?」と思って近藤さんの本を4冊ほど買ってまず読み始めたのがこの本だったのだが、もうびっくりする事ばっかり。
この本の内容を物凄く簡単に言うと、
「自覚症状の無い生活習慣病に対する各種の療法は、死亡率を下げるという裏付けが全く無い。むしろ、それによる副作用やストレスが死亡率を上げる結果にも繋がる。」
というもの。確かに、全く自覚症状が無いのに、定期健診で「あなたは生活習慣病です」と言われて薬を飲んでも、元々自覚症状が無いんだからどこも良くなるはずも無い。
しかも、薬が必要だという基準値がこんなに出鱈目に決められていたとは…。あー怖い。
それでもかなりの事がわかってきているようである。例えばにおいと物質の関係である。例えば加齢臭、すなわち年をとるにつれて匂ってくる体臭、いわゆるオヤジ臭さの主成分は「ノネナール」という物質である。桃は「蟻酸エチル」、梨は「蟻酸イノアミル」、バナナは「アミルアセテート」である。
動物の嗅覚についての話題も詳しい。犬はもとより、象、ウナギ、魚のカマスの話もある。犬の嗅覚の研究はいろいろされており、例えば犬のにおいの記憶は約5ヶ月続くとのこと。麻薬検知器なる器械ができても犬の能力には遠く及ばないそうである。人間の嗅覚も捨てたものではなく、約4万種類を嗅ぎ分ける事が出来るそうだ。
そのほか、痩せる効果のある香り、ワインの香りなど話題が豊富である。環境庁が選んだ日本の「かおり100選」の一覧もある。 嗅覚研究のチャレンジャー、いでよ!著者は生理学者で、犬の嗅覚に関する実験の話もあるが、広く匂い、香りに関するさまざまな話題を取り上げる。如何せん、視覚など他の感覚に比べて嗅覚について分かっていることが少すぎ、まったく未開拓の分野であることがよくわかる。匂いの「分子形状説」と「振動説」についてすらまだ決着がついておらず、ブレイクスルーのない限り、匂いのデジタル化への道は遠い。今、このような本を書こうとすれば半分は「雑学」的なものにならざるをえないのだろう。 困難極める嗅覚の研究、それでもやっぱり面白い 実生活において臭いに関わる問題は実に多いけれど五感のなかで味覚と共に最も研究が遅れているものの一つです。これらの感覚は個人個人の育った社会環境によりその受ける不快感あるいは快感が大きく異なるため他の感覚と異なり、研究対象としては面白いけれど、客観的に捕らえようとすると極めて難しくなってしまうのです。
私も昔、臭い振動説が脚光を帯びていた時代、ニオイセンサーなるものが開発され多くの人々に注目されていたのを記憶しています。が、それ以降、臭いの問題はどうなったのか?と、ちょっと感心があったので読んでみました。
本書の前半、臭いを感じる仕組みについて書かれてあり、その伝達経路が他の感覚と異なっている部分が興味深かったです。また、後半第4章以降の話しは「へー」というような話題が満載で大変興味深くかつ面白い内容でした。ここらへんの話は雑学として記憶に留めておくと話題に事欠かないと思います。
結局のところ臭いに関する研究は、今後とも困難極める人類の永遠のテーマであり続けるということなのでしょうか。
初版は1974年で31刷を数えているようですが、まったく古さを感じさせません。そんな感じを受けるのは、本書で指摘されていることが30年前から一向に改善されていないためと考えられます。そう思うと益々居たたまれない気持ちになります。
自動車には問題がある。何よりも歩行者を追いやったことに問題があると指摘しています。その他、交通事故、公害などもあるのですが、そういった問題は社会的費用として車を運転する受益者が負担すべきであるはずだが、そうなっていない。運転者にとっては運転することによる利益のほうが負担よりも大きいため、車を運転するというインセンティブがはたらき、ますます車が増加して問題が拡大していくとされています。
昨年、四国遍路の一部約300kmを歩いたのですが、いかに道路が車のために作られているのか実感しました。悟りを開く前に交通事故で召されてしまうと思うくらいに歩行者にはつらい道が続いていました。
受益者負担という観点に立ち、社会的費用を分かち合わなければならないと思った次第です。でも、自分もまた自動車産業の関係者と思うと複雑な気持ちにもなります。 宇沢弘文先生の偉大なる書の一つ この書は、自動車を中心とする交通体系に対する警鐘するものである。事実、現在のモータリゼーション社会は、環境問題や交通事故等の諸問題により大きな外部不経済を生み出している。 この書については、多くの評論がされているので、多くを述べることは必要もないと思う。しかし、特筆すべきは1974年に出版されていることであり、宇沢弘文先生の現在の諸問題を予測した慧眼には驚かされてしまう。
結果としてそこに街並みが広がっているのではなく、それは長い歴史で必然的かつ因果的に異化を続けた軌跡であり、今もなお「経過」であるということが、別に本書に記述されているわけではないが漠然と感じられた。
近代の東京の地理的な意味合い(なぜ東側は下町や年寄りが多いのか、西は風俗店や若者が多いのかといったようなこと)を期待して本書を手にした俺としては満足いかない内容だったが、本書のある意味穿った東京をはじめとする都市の見解やそれについての表現はな!かなか面白く、2003年現在読んでもそれらに対しては「古い」などといった感覚はしない。