魯山人は「書、絵、料理、陶芸」などと、その活動範囲は多岐に渡るが、料理の場合、魯山人がいないので、作ってもらうことができない。
彼の料理観を知る上で、この本に書かれていることも一つの頼りになる。
現代日本にも彼のような存在はあるのかも知れないが、くだらぬ文化が跳梁跋扈し、それが邪魔しているのか、なかなか目立つ存在となれない。
芸術に携わるものは、美意識高く妥協なき作品を作らねばならない。「卑怯の世俗から脱するより道はない」
◆「ダンボール紙で、新しいバックギャモンのゲーム盤をつくろう!」◆大江戸線の地下鉄のトンネルは普通の地下鉄の直径と比べると7割くらいの大きさです。直径で7割ということは、掘る面積でいうと、普通の場合の5割くらいで済むことになる。このように「数学的に物を考える癖」をつけるのもいいなあ。
◆自分の人生をマネジメントする事、国や会社のマネジメント行動をきちっと見極め、評価する力が、これからは大事になる。◆子供にはいつも言っていることがあります。答が正しいかどうかが大事じゃなくて、自分はこう思うということをちゃんと言えることのほうが大事なんだって。
◆「なぜそうなるのか」「どうしたらよいのか」「どうしてそうしたらよいと考えるのか」といった“問いかけ”を大事にしながら、身近な物事について一緒に考えるような親子の会話をだいじにしたいと思うようになったのです。 よのなかをもう一度学びなおす子どもを育てるということは、子どもを通して人生をもう一度生き、[よのなか]を学びなおすことなんだと思います。子どもと強く関わることは、親自身の人生が豊かになっていくことでもあるのだと思います。本書で著者のミムラーさんも、子どもよりも学び、子どもよりも考え、子どもよりも発見し、そして子どもよりも子どもらしくなっていってますね。
だから楽しいし、それが子どもに伝染している。 [よのなか]を学びなおす子どもを育てるということは、子どもを通して人生をもう一度生き、[よのなか]を学びなおすことなんだと思います。子どもと強く関わることは、親自身の人生が豊かになっていくことでもあるのだと思います。本書に登場するお父さんも、子どもよりも学び、子どもよりも考え、子どもよりも発見し、そして子どもよりも子どもらしくなっていきます。
だから楽しい。
博物学という学問はそもそもが人間が行う行為であり、それ故の間違いや思考の過程、知識の伝播がこの本から覗える。
本文中の図や参考資料も豊富かつ知覚的に興味深いものが集められている。たとえば、第十章「視覚の快楽 博物図鑑の楽しみ」「怪奇な
鯨絵のゆくえ」の項においては、過去に描かれた鯨の姿が紹介されている。
これらは、神話など過去の人類の知識や誤った情報からの類推により奇妙に歪められて描かれており、単に絵を眺めるだけでも面白い。
本書は、野へ出て生物を採集し観察するおもしろさや、先人の著した博物学書の偉大さを伝えたいということだが、十分に伝わる。