このエッセイの主題は、すべて食べ物である。しかも、普段あまり脚光をあびることはないが、私たち日本人の食生活を地道に支えている、なじみぶかい食べ物たちばかりである。たとえば、卵かけご飯、ラーメン、カツカレー、福神漬け、アンパンなど。普通こんなありふれたものをテーマにして、400字詰め原稿用紙に8枚も、文章を書けるだろうか? この簡単そうでとても難しい作業を、15年以上にわたって続けているのがショージ君なのだ。
彼は食べ物と同じ立場に立ち、そのささやきにじっと耳をかたむける。私たちはこの本を読むことではじめて、食べ物界の現状や不満、問題点などについて知ることができるのだ。
何はともあれ1冊手にとってみてほしい。
で,結論は,「意識や感情やクオリアが果たす機能」は「物理的なシステムで多重に実現できる」.「半導体や電線やプラスチックやレンズなどの工学的な素材」で.〜〜それからもう一つ,「心があるようにしか見えないロボット」は「心があるロボット」.....え?こんだけ?というのが正直な感想でした.
結局,ロボットに心を実装するための具体的なアイディアについては何も書かれていませんが,哲学からロボット学へのアプローチ,として読むと面白いかも.〜 裏返しの人間論 わずかばかりの論点追加と、著者の語り口について一言、二言。
たしかにこの本は、「ロボットは心を持てるか」という問に対し、「持てる」という立場に立って議論を突き詰める内容になっている。ただし注意すべきは、結論は保留されているという点。というのも、巻頭からさまざまに切り口を変えながら、「ロボットは心を持てる」という判断を支持する結論を導き、重ねながらも、巻末近くで扱われる「感情」や「道徳」の問題までたどり着いた時点で、最終結論は留保される。 結局、人間の心の成り立ちが分からない以上、ロボットがそれを持てるかどうかの議論も立ち止まるしかないという、当たり前といえば当たり前の結末。つまりこの本は、裏側からの人間論だったわけだ。
ちなみに、著者は文中各所で自分自身に突っ込みを入れている。何かを主張した直後にカッコ書きでそれを相対化するような記述や合図が、多いときは1ページに2〜3か所も出てくる。あるいは、そもそも哲学している自分自身に憐憫または嘲笑を投げかけるような記述も頻出する。日ごろ周囲からよほどイタイ視線(「あの先生もいい年をして、何て地に足のつかない話をしてるの?」)を浴びているのかと同情したくもなるが、しかしその一方、おかげで文脈が錯綜して話を不必要に混乱させている気味もあり、ちょっと哲学者としての覚悟とプライドが不足してるゾッ! と発破をかけたくもなった。哲学者の人生も大変そうだ。
分かりやすく、面白い本だと思うけれど、各章冒頭に置かれた「7つの哲学物語」の出来栄えについては、評価を差し控えたい。 「ロボットが心を持つ」ことへの抵抗感の正体本書の主張の中心は「心があるようにしか見えないロボットを作ることは、心のあるロボットを作ることなのだ」(216ページ)そしてそのようなロボットを作るのが不可能な理由はない、ということである。著者は考えられる反論に答え、十分説得的に論じていると思う。
注意すべきは、「ロボットに心が持てるか」という問いは、それだけでは不毛になる危険があるということである。というのは、心という概念は明確な輪郭がないからである。例えば犬や猫の場合、思考や悲しみは認めにくいが、喜びや恐れは認められる。要するに犬猫相応の心を持つ。「心とは人間の心である」と定義しそれに固執するなら別だが、そうでなければロボットも同様に、ロボットの多様性に応じた様々な「心の変種」を持つことが予想できる。著者はチューリングテストの章で「機械が心を持つには、環境との関わり方において人間と似た身体が必要」と主張しているが、仮に人間と区別できない会話をこなす機械が本当に出現したらどうか。身体がなければ、確かに「ビールのうまさについて」とか苦手な話題はあるだろうが、例えば著者と対等に議論ができるなら、人間とは違うにしてもそれなりの心を認めざるをえないだろう。「心を持つ」とは、実質的には、悲しむ・信じる・考える・意識する・発言に意味をこめる等のこころ系述語が適用可能ということだが、心系述語の多様性と広がりに応じて「心」という概念は柔軟な概念なのである。このこと自体は詰まらない指摘だが、心に関する問題を変にこじらさないためのポイントである。このような概念的検討については、本書では7章の「人格」概念の分析がいい(4ページだけで、本書全体からは注釈的な扱いだが)。結局の所、多くの人が「ロボットが心を持つ」ことに抵抗感を持つ原因は既存の人格概念にあるので、むしろこちらが本筋だったかもしれない。
著者は臨床心理士としての問題意識から出発して国際都市として有名なカナダのトロントで研究生活を送った。この本はトロントでの子育て支援のソーシャルワークの考え方を紹介している。ソーシャルワークについて私は今まで「弱者の相談に乗ってアドバイスをする」といったくらいのイメージしか持っていなかったが、この本を読むと、もっと積極的に行政・地域の人々との間に立ってさまざまな調整をする重要な役割を担っていることがわかる。
この本の特筆すべき点の一つは、単なる紹介にとどまっていいことであろう。トロントから学べるものを日本の実情に合わせて批判的に咀嚼してさまざまな提案を行っている。もう一つの特徴は、個人の取り組みばかりでなく社会としての取り組みに多くのページを割いていることであろう。たとえば、ボランティアで子育てにかかわりたいという人は多いだろう。そういう善意をまとめ上げ、行政と交渉したり、寄付を募ったりといった活動に踏み込んでの提案をしている。 子育てする個人ばかりでなく、専門家にも子育てを支援しようとするボランティアにもヒントが満載されており、一読ののち、必要なときに読み返す価値がある本だと思う。 トロントの子育て支援筆者はトロント大学の客員研究員として、トロントにおける子育て支援について研究してきている。また、実際に筆者は2児の母であり、母としてトロントの子育て支援サービスにもかかわっている。「英語のわからない二人の子どもを連れ、一人で子育てしながら研究生活をするという状況」で、「日本よりずっと生活しやすい毎日」であったという。
このように述べる筆者による、トロントの子育て支援環境と日本の子育て支援環境とを比較し、今後の日本においてどのような環境作りが求められるかが分かり易く書かれている。
たとえば、対称式の基本対称式の組み合わせへの変形、二重根号のはずし方、漸化式の問題、積分方程式の積分区間にxを含まない場合と、含む場合の定石、ベク卜儿の交点を分点変形と非零の二つのベク卜儿が非平行なときの定石を利用して求める問題など、各テーマに対して、おのおの重要な2〜3題が取りあげられている。
また、計算過程の長い問題も取りあげられていないので、紙に書かずに眺めているだけでもOKである。これらの高校数学特有の問題は、懐かしい高校時代の楽しかった思い出を思いださせてくれる。だで、お風呂上りのリラックスタイムに最適の一冊である。
簡素化された説明の中に高校数学の解法のパターンが凝縮されているが、極限の収束・発散、無限級数、分数関数や三角・指数・対数関数の微積分、行列の問題が取り上げられていないのは残念である。