唯一の救いが「無銭飲食列伝」ですね。とにかく読まないとこのすさまじさは分からないし、この出来事である人達の関係が少し良くなります。本編の一つですが、落とす為の複線のような気もします。
ヨーロッパ時代の回想の中にも印象的なものはたくさんあるが、全編を読み終えて、強く印象に残ったのは、やはり今は亡き父への尽きせぬ愛情。自己中心的な父親に強く反発してはいても、それと同じぐらい父親に魅かれている筆者がそこにいる。ラストの「オリエント・エクスプレス」は虚構を匂わせるところもあるが、そこに描かれた父への思いは真実なのではないだろうか。 どう生きていくべきか迷う女性が読むべきエッセー須賀敦子さんの数少ないエッセー集の中で私が最も好きなのがこの「ヴェネツィアの宿」。イタリアでの話よりも、子供時代、聖心系列の学校での戦時の寄宿生活、両親の話、フランスでの留学生活で出会った人々について書かれたエッセーを集めたもの。何度読んでも読み飽きない、そのたびに「私もちゃんと生きていかなくては」という気にさせてくれる。
私が特に好きなのは「オリエント・エクスプレス」。須賀さんの父は祖父から無理矢理継がされた会社経営に身が入らず、心配した叔父たちに家業のための視察という名目で30歳前後で1年間の世界一周旅行に出される。(須賀さんも須賀さんの母も留守番だった)須賀さんは小さい時から折に触れ、父からアメリカやヨーロッパの話を聞かされる。須賀さんの父は会社が暇になったらいつかまたヨーロッパに行きたいと思っていたが結局それは果たされず、死の床でミラノにいる娘に、かつて乗ったオリエント・エクスプレスのコーヒーカップが欲しいと頼む。その顛末については本書を読んでほしい。
まだ留学というものが「船」(それも貨物船)で行っていた時代、今のように日本にとってイタリアという国がブランドものやファッションなどのきらびやかな関心の的ではなかった時代、一生懸命、自分の生き方を模索しながら真摯に生きようとした須賀さんの苦悩が伝わってくる。 美しいエッセイ何度も何度も繰り返して読んでしまう本。フランス、イタリアで著者が生きていたときの空気を一緒に吸えるかのような生き生きとした描写にうっとりしてしまう。いまでこそヨーロッパで勉強する日本人はたくさんいるが、当時はそれがどれだけ大変だったことか。多くの人に読んで欲しい本だ。 美しい日本の美しい日本語で描くヨーロッパ。1950年代にどれだけの日本人がヨーロッパに滞在していただろうか。須賀敦子氏の父が1年を掛けて世界一周の旅をした1930年代は。そうした特別な人々しかヨーロッパにいなかった時代の、イタリアと、フランス。そして、ヨーロッパの空気が感じられてくるすばらしいエッセイ。 5行、6行にもわたる長い文章で描かれる人々や、風景。その表現はさっと読み流してしまうのが惜しいほど一語一語が磨かれた美しさの連続である。