権謀術数渦巻く近世戦争の中で、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世、その傭兵隊長ヴァレンシュタイン、フランス宰相リシュリューといった主役陣が入れ替わり立ち代り歴史の表舞台へ現れては消えていきます。著者が本書で用いる文体は学術書のそれというよりは歴史文学のそれであり、品位溢れるものです。歴史の壮大な物語が私たち読者に与えてくれるものと同じ昂揚感を本書で味わいました。
殊に印象的なのはスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が戦地に斃れる場面です。戦争の一方の側にとっては偉大な英雄であったグスタフ・アドルフの死を物語風に簡潔な文章で描いた箇所(128頁)は、戦争の虚しさや哀しさが立ち現れてくる描写として際立っています。
三十年戦争を終結させたウェストファリア体制が、欧州普遍主義からナショナリズムへの転換、ラテン語よりも固有言語の尊重、殲滅的戦争から限定的戦争への合理化などを推進していく歴史的転換点になっていったという最終章のまとめは大変分かりやすく、私のような歴史学の門外漢にも違和感なく受け止めることが出来ました。 いま少し新しい観点を慥かに、三十年戦争の沿革を知ることのできる唯一の本だと思いますので、その点は非常に高く評価できると思います。しかしながら、底本になっているのがウェッジウッドの古典的作品のため(もちろん、この本も素晴らしく価値ある本ではあるのだが)、三十年戦争という事件に対する評価があまりに古臭く、従来のマイナスイメージの観点を脱しきれていない館があります。現在三十年戦争の研究はドイツでも非常に盛んに行われており、それにともなって新しい観点もどんどん提出されているので、より新しい本や論文でウェッジウッドの視点を補って欲しいと思いました。しかし、三十年戦争についてこれだけ詳細に書いてあるという一点では大変に意義ある、そして価値ある作品です。底本になっているウェッジウッドの翻訳が出るという話ですが、それが出るまではこの本は大変価値をもつことでしょう。
この巻では今、大河ドラマで注目されている源義経の歴史的な存在意義。なぜ義経は頼朝に滅ぼされたのか。なぜ、あれほどの戦争の天才が亡んだのか。こういったところが面白かった。そのあたりの著者の見方は、今の社会で我々が生き抜くに当たっても、必要な視点を与えてくれると思う。 鎌倉幕府は労働組合 権威主義、史料至上主義、呪術観の無視という従来の日本学界の常識を再検討し、日本史に新たな視点を提供する「逆説の日本史」シリーズの第5弾。本書でも著者のオリジナリティあふれる学説をもとに、明快に日本史を紐解いている。
天皇・上皇が絶対的権威でありながらも、源頼朝を委員長、北条時政を書記長にした労働組合のような形をとることで武士が実質的な支配権を握っていったという例えは大変興味深い。しかし、その後に北条氏がただの有力御家人で終わらず、執権という役職のもとに権力を集中できたのは北条時政・義時が稀代の謀略家だったからとしているが、それにはいささか物足りない印象を受ける。さらにもう一歩踏み込んで、御家人組合の書記長に過ぎなかった北条氏がどのようにして他の有力御家人を押さえて、象徴将軍のもとに政権を握ったのかを著者に解説して欲しかったところだ。
上巻は、連邦と州の権限の問題や奴隷問題など、どちらかといえばアメリカ固有の問題が中心なのですが、下巻では司法審査の役割やプライバシー権の問題など、日本でも共通する問題が扱われています。また、「明白かつ現在の危険」の基準や「現実の悪意」の法理、アファーマティブ・アクションなど日本の憲法学説でも参考にされている理論を扱った判例が紹介されているので、憲法を勉強している人にも参考になるのではないでしょうか。ただし、アメリカの歴史の流れの中で、最高裁が判決を通じてどのような役割を果たしてきたかを紹介することが本書のテーマであるので判例の理論の紹介はそれほど詳しくはありません。もちろん、アメリカ史またはアメリカという国に興味を持っている人にも参考になることは言うまでもありません。
上下巻を通して読めば、アメリカの歴史の流れの中で、最高裁が判決を通じてどのような役割を果たしてきたかを通史で概観することができますが上に挙げたような現代的な問題に興味がある場合は下巻だけを読んでも問題ないように思います。
しかし内容に目を転じますと、千年以上の時を経てもそれほど変わることの無い普遍的な道理が記されており、現代においても充分応用可能な部分もあるかと思います。
他の兵法書と比べてみますと、孫子は主に将軍の視点から、この三略は君主或いは宰相からの視点から書かれています。したがって人材運用や人心獲得、信賞必罰や率先垂範などについても書かれており、軍事学というよりは政治学に近いかも知れません。
小説家の方が書いているので現代語訳も読みやすいです。
バナナという誰もが知っている果物の生産という点に「ミクロに目を凝らす」ことで 「マクロに見えてくる世界の俯瞰図」という手法自体が非常に斬新であり 見事なものである。書かれて30年近く経ち、バナナの状況も様変わりではありながら その手法自体は 今でも新しい切り口ではないかと思う。
しかし この本を読んでいると つくづく南北問題の難しさを感じてしまう。何が善で何が悪なのかという判断は難しいし だいたい 世界はそんな簡単な区別はできないくらい タフなものかと思う。その意味で 最近の米国が中近東、イスラム等に関連して 簡単に「悪」という言葉を使うことは 本質的に危険であるということことかなと思ってしまう。
バナナを手にとって見ているが バナナは口をきけるわけではない。但し そこから見えてくる「世界」がある、 それが本書である。