最近の松本清張リバイバル・ブームでめでたく復刊、大きな文字で読みやすくなりました、清張のもう一つの代表作「日本の黒い霧」に比べて、充分以上の資料を駆使しており、文章自体も充実した作品です、(日本の黒い霧は資料不足が第一の原因と思うのだが同じ内容の反復描写が多く、文体も少々荒れた感じがする)
取り上げられている事件の殆どは直接には左翼関係ではないにもかかわらず、大正から昭和前期にかけての「左翼運動」の広がりに当時の政治的人間たちの多くががどれほどの脅威を感じたかが分かります(特に2・26以前の各章の描写において)、ちなみに松本清張は共闘とか連帯などといった左翼的価値観を一切もちあわせていない作家である、同じく昭和の大作家である司馬遼太郎がことあるごとに左翼的体質を露呈していたことと好対照の人物、
現在でも日本人の心の在り様の基本のひとつである「狭隘で僻み・妬みに満ち満ちた価値観」はちょっとしたきっかけさえあれば容易に階級打破・平等社会の実現という社会主義思想に取り込まれてしまう危険があることに本書で描かれた多くの人物達が脅威と恐怖さえ覚えながら行動していたこともわかります、
20世紀最大の負け犬でもある社会主義がその後、政権を取った自国でどれほどの悪逆を行ったかを冷静に観察できる現在から見れば、本書で描かれた彼ら政治的人間たちの政治的感性の鋭敏さのようなものには一種の感嘆を感じざるをえないし、2・26事件を即座に「反乱である、鎮圧せよ」と断を下した昭和天皇の優秀さにも感服できます、そんな英邁な昭和天皇の治世でさえ大戦争に巻きこまれざるを得なかった昭和10年代について是非とも松本清張の筆で描いて欲しかったとも思います、
ガリア地方(南北約965km、東西約935km)を、3万前後の軍で征服したカエサルの戦争術を学べる。迅速な機動・兵力集中・各個撃破・政治力の活用・補給線の確保によって広大な地域をいかに征服するかの事実の総合的記録であり、地図上で地名・日時を押さえながら、軍をどのくらいの速度で移動させ、その意図は何だったか、そのためには何が必要だったか、技術的な限界はどこまであったかなどを知ることができる。
カエサルは、軍を迅速に移動させ兵力集中を実現し、各部族を各個撃破した。各個撃破するためには、敵部族の兵力集中を防止しなければならないが、カエサルは、それを1つには副官ラビエヌス軍による牽制、1つにはナポレオンが言うところの自軍の評判すなわち政治力による牽制によって実現した。
そうして、戦役初期には、カエサルが淡々と各部族を征服していく様が記録されている。そして、戦役中期には、ゲルマン地方・ブリタニア地方へも遠征し戦線を拡大していく様が記録されている。そして、戦役後期には、ガリア側にウェリキンゲトリクスという指導者が現れ、ガリア部族の意志統一・ローマ軍の補給線への攻撃・焦土作戦によって、カエサルを苦しめるのであるが、アレシアの戦いでカエサルが勝利する様が記録されている。
戦闘レベル・戦術レベルの知識は、近山金次氏の(注)・国原吉之助氏の(注)・塩野七生氏の著作によって知ることができる。カエサルが、ガリア戦役と同時に遂行した政治的野心の実現は、長谷川博隆氏、塩野七生氏の著作によって知ることができる。これらによって、カエサルが下した個々の決断の前提条件・背景がより立体的に把握できる。
「戦って勝つのはやさしいが守って勝つのはむずかしい」
「五度勝ち続けた国は かえって禍を招き、四度勝利した国は疲弊し三度勝った国は覇者となり 二度勝ったものは王者。一度買ったものは覇者」
最近 孫子、三略、六韜等の兵法書を読む機会が多いが 兎に角 彼らは基本的に まずは 戦争を避けようという姿勢が強い。上記呉子の言葉の 後者は その最たるものである。
それにしても 経営者が中国古典の兵法書を好む姿にも面白いものがあると思っている。会社の経営は やはり一種の戦争なのだろうか。ただ 上記言葉を味わっていると これは非営利団体でも サークルでも 家庭でも どこにでも適用できるから面白くなる。要は 人間のやることは 変わらないのだと思わざるを得ない。
夫婦喧嘩でも 5回連勝したら・・・ 確かに大いに禍を呼ぶわな。
トルコに旅行に行くことが決まったら、読んでおくと良いと思う。 トルコの歴史を楽しく読む↑タイトルの通り、歴史を楽しく読める本です。イスタンブールの有名なモスクや建物のことを中心におきつつ、それにまつわる歴史、面白いエピソード、雑学(?)が語られます。歴史書のように、時候列的に堅いお話だけしてオワリというわけでもなく、ガイドブックのようにサラーッと流して終わりというのでもなく、とっても楽しんで読めて、さらにちゃんと後に残る財産があるという、なかなか得がたいイスタンブール紹介であります。
本書は「オリエンタリズム」という言葉に含まれた、多分に西洋的なものへの批判文だ。その思想史上の偉大さは、今さら私が語るまでもあるまい。我々からして既にこの本を西洋的な目で見ている――。そのことに気付いた時、必ずや得るものが有るだろう。
言い方は悪くなってしまうが、これを機会に一読をお勧めする。
それにしても惜しいひとを亡くしたものだ…。 オリエントという他者 オリエントは東方の他者として存在するのではなく、オクシデント(西洋)の中にこそ存在する。オリエントとは、支配者と従属者、この力関係の中でオリエンタルなものとされた、現実と完全に符合することの無い他者イメージであった。本書ではいわゆる西洋と東洋の認識の中で書かれているが、様々なシーンに適用可能な、例えば日韓関係を考える上でも重要となる感覚がちりばめられている。我々の認識する他者とは、我々自身に内在する他者であり、決して現実の他者そのものではない。歴史、政治、思想、哲学、地域研究、あらゆる分野に携わる上で、必読の書であろう。
なんとも贅沢な面々である。おそらくこの学生生活は刺激に富んだものだったであろう。ところで本書の内容は、歴史学者の著者により、沖縄の歴史を200ページあまりで概観できるようになっている。しかし、沖縄の歴史に関する本としては初心者向きではないかも知れない。
軍における意思決定のいいかげんさ、否定的な意見は「消極的」として排除される不合理、精神主義ばかりで第一線の事情を推し量れない指揮官の身勝手、作戦が失敗しても責任を認めない彼らのエゴイズム。呆れかえってものも言えないというのが率直な感想だ。腐りきった組織の行き着く先を目の当たりにするようだ。
しかし、このような組織の体質が今なお日本社会のあちこちにはびこっていて、戦後50年たっても日本は何も変わっていない、などと言われると、NHKの人間からそんなことを言われる覚えはない、と反論、いや抗議したくなる。硬直した組織の弊害を抱えているのは、ほかならないNHK自身だろう。このシリーズの著者・関係者が、自分自身が属する組織を詳細に検討し、自己批判したという話は聞いたことがない。
NHKの報道は常に公正・中立だったろうか? 圧力団体の集団的抗議やら示威活動に屈して報道姿勢を変化させたことはなかっただろうか? 偏った視点から一方的に報道することはなかったか? すぐに思いつくのは従軍慰安婦の強制連行問題だ。NHKはこの問題を繰り返しスペシャルで報道して、戦後賠償すべきとあおっていた。「強制連行はなかったし、あったとしても組織的なものではなかった」という説が当時から既にあったのに、それを無視する視点から番組を作り続けていた。こういう偏向番組を平気で作り、しかも事後の検証をしないNHKこそ、当時の日本軍の体質と変わりないといえるだろう。彼らに自分を棚にあげて他を批判する資格があるのかどうか。なんとも後味の悪いことである。