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「古寺巡礼」は古寺に取り付かれた若き哲学者が その情熱のほとばしるままに 日本の美をアジテートしている。堀辰雄は いつもながらの繊細な神経で 奈良を彷徨し 古寺と堀自身が次第に溶け合って なんとも言えない一編の抒情詩に仕立て上がっている。 そんな二冊と比較すると 本書はどこか陰鬱である点は否めない。
解説に拠ると 敗戦に因る亀井自身の精神的危機を救ったのが 奈良であり 本書の執筆であったという。その解説が正しいとしたら 本書の持つ陰鬱さは 戦争責任を感じている一人の知識人の苦悩ということになるのだろうか。
それにしても古寺たちは 様々な戦争、人間、苦悩を目の当たりにしてきたのだと ふと思う。自分たちを訪れる人々は時代によって変わり、その祈りや苦悩も 時代によって変わってきているのを見て なんと感じてきたのか。 そんな風に思うと 自分自身が少し宗教的な感傷に包まれる。そもそも奈良は宗教的感傷が無くては成立しない異界でもあるのかもしれない。
「手紙一」から「手紙四」はそれぞれとても短い文章ですが、賢治の思想がストレートに語られている作品だという気がします。とくに「手紙四」は僕の大好きな作品です。賢治は「世界全体が幸せにならない内は自分の幸せはない」と考えていました。僕は以前 それを道徳的に過ぎ、いくらか聖者ぶっているような気がしていたのですが、「手紙四」を読んでそうではなかったことを納得できました。ポーセを愛することとすべてのいきものを愛することはまったく同じことだったのです。ぜひ沢山の人に読んでもらいたいと思います。 また、安野光雅による表紙の装画もとても好きです。
また、次に重要な解説文ですが、必要最低限のことは書いてあります。要は、世界遺産を、概観するのには適切なシリーズとなっています。歴史や地理の勉強にもなりますが、あまり堅苦しいことを考えず、見ているだけでも楽しく、ちょっとした旅に出かけているような気分にさせてくれます。
しかし彼にはそれしかない。まるで表現するためだけに生まれてきた人間のようだ。安易な恋愛観と陳腐な自己演出に没頭し、つねに美術史上において自分がしめる位置に気をもみ、あとは自分以外の人間に対する強い不信をいつもかかえていたようだ。読みながら終始「可哀相だなぁ…」と思った。少なくとも才人特有の華やかさや、人間としての大きさははまるで感じられない。つねに彼は癇癪をおこしているか、不安に苛まれているかのどっちかだ。しかしそれはあくまでもこの本を読んで感じるイサム・ノグチへの感想で、本当は彼の人生にももっと楽しさや明るさもあったのかもしれない(そう、信じたい)。
著者は膨大な情報量でイサム・ノグチの人生を展開していくが、どことなく情報内容が片寄っているかに思われた。たぶん著者がイサム・ノグチの一面性にばかり焦点を絞って話をしているからであろう。また著者は「イサム・ノグチを分かってあげてほしい」とする反面で、「そんなに簡単にイサム・ノグチを理解させない」的に、読者を突き放す。そしてその方法論が一見イサム・ノグチを「孤高の才人」へと美しく昇華している反面、最終的には読者の奥にまで強烈に迫り得ない理由でもある。
「この人はいったい何を思い悩みながらこういった作品ばかりを創り続けたのであろうか?」とイサム・ノグチ作品には終始疑問が付きまとうが、この本を読んでその謎に少し理解が開けた感がした。イサム・ノグチの一つ一つの作品を年代順に追いながら、それぞれを制作した際のイサム・ノグチのコメントや当時の彼をとりまく状況、そしてそれをそれぞれの言葉で評した批評家や他の芸術家たちの言葉をこれほどキメ細かく拾いあげた辺りは、これはスゴイ業績だと思う。とくに、最後の方のイサム・ノグチが唯一認めた美術評論家キャサリン・クーの批評と、それを正当な判断としながら、あえてその裏をかこうとするイサム・ノグチとの無言の心理戦なぞは、この上なくCoolであった。
イサムは死の直前最後の恋人京子をともなって美術館にいき、アンリ・ルソーの「蛇使いの女」を眺めながら日曜画家で、税関に勤めていたような男が、中傷やあざけりに絶えながら、これほど素晴らしい絵を描くなんて…と、素直に表現者としての感動を示す箇所などは、深みと優しさに満ち溢れています。世界中の美術家たちのそれぞれに、こういった人間模様がそれぞれの形で存在しているのだと思うと、連中のスゴ味を感じざるえません。 文章家としてこの文章の語彙センスはいかがなものか。<上>に続いてイサムノグチの晩年を記した下巻だが、やはり人間としての素材への敬意を欠いた印象はそのままである。殊に、イサムノグチに晩年助力を惜しまなかった人間を「仮性遺族」などという表現を使っているのは、いかがなものか。もし自分が血縁関係にない者に傾注し、助力したのが長年に渡った末に死別したとき、「あなたは仮性遺族ですね」と言われたらどう思うか。非常に気をそぐ表現で、この一語だけでかなり残念な出来となった。上巻を読んだ以上読み進める必要があるがゆえに読んだが、作者の「優等生的」ルポルタージュには鼻白む思いだ。 ハードだけど羨ましい生き方詳細な取材に基づいて、世界的な彫刻家イサム・ノグチの後半生を描いた作品ですが、どうしてもイサム・ノグチの仕事を追う描写が多く、その内面はあまり描かれていないように思います。文章も決して読みやすいものではありません。ただ、それでもこの本からはイサム・ノグチの猛烈な仕事に賭ける情熱が伝わってきます。とっても真似できる生き方ではないと、彼のスケールの大きさを感じました。また、自分の仕事にこんなに打ち込めるなんて、うらやましいという気もします。今年はイサム・ノグチの遺作「モエレ沼公園」も完成します。生誕100年でもあります。興味のある方は読んでみる価値はあると思います。ちょっと長いですが・・・。 この本を読まずしてイサムを語ることなかれ20世紀という時代を駆け抜けた孤高の芸術家、イサム・ノグチ。彼は一点の創作拠点にとどまることなく、日本、アメリカ、イタリア・・・と移動し続けながら創作を続けた。それは「日米のあいのこ」という出自が運命付けた宿命でもあり、自分探しの旅でもあった。この書は、イサムのそうした軌跡を丹念な取材で辿ったものである。
多くの友人に囲まれ、また愛に悩み、しかし自分の信念を曲げずに創作に取り組んだイサムの苦悩と喜びがつぶさに描かれている。
岐阜提灯を模した「AKARI」などのプロダクトデザインでも知られるイサムの、全世界に散らばる大作の制作過程などもスケッチされ、読み応えのある一冊。間違いナイ。